平泳ぎ (19) 〜 キック 4 〜 高橋大和 |
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「抵抗ならやめてしまえ」 と、「抵抗を減らす」なんて小さな事をやるくらいなら、もっと大胆な戦略を採っているのが21世紀のキック動作戦略である事は、プル動作と同様だ。
膝から先を回転させる「挟み込み式」による推進法では、グルーンと膝をこねくり回している事で 「キックの動作時間が長くなる」 という大きな欠点があった。 ※※ 注意 ※※ しかし、「ウェッジ」だの「ウィップ」だの語源が良く分からないカタカナを、なんの説明もなく立派ぶって使うのは混乱するだけで利点はないと私は考えます。 したがって、既に廃れてしまった「回転挟み込み式キック」をわざわざ「ウェッジキック」などと偉そうに呼ばない事にする。 「ウィップキック」は、現在主流のキックでもあり、また「ムチ打つキック」という日本語訳も分かりやすい表現とまでは言えないので、こちらはウィップキックとカタカナ表記する。 そこで、膝先を回転させる事をやめ、 「まっすぐ引き付け、まっすぐ押し出す」 という最短距離で足を前後させて、キックの動作時間を減らし、旧型の「引き付け、回して、挟む」の3テンポから、「引き付け、押し出し」の2テンポへとコンパクト化された。 ※※ 備考 ※※ 長崎宏子さんなどは、90度くらいまでかかとを出せて、異常な膝のやわらかさを持って、それを武器にして、膝から先を大きく回転させて挟み込み、大きな推進力を得ていた。 しかし、21世紀に入って、この「おばあちゃん座り」をやっている選手を見た事がない。召集所だけでなく、国体などでいろんな選手を見たが、まったく見かけなくなった。 時代は変わった(-.-) これは、2000年シドニー五輪後で惜しくも4位で終わった北島康介選手が当時取り組んだ仕事だ。 2001〜2003年頃は、さかんに「平泳ぎの停止時間を短くする」という話が良く出た。「キックの引き付け完了時に泳ぎが止まるので、その停止時間を短くしよう」という所から広がり、「動作時間が短ければ、停止時間も短くなる。だから、足をまっすぐ前後させよう」という戦略になっていった。 こうしてウィップキックが北島康介選手によって、より高度に作り込まれた。 (私もよく知りませんが、「whip kick」のようです。「鞭打つキック」という事のようです。確かに北島選手の膝の動きはムチがシナルように下から上に動いています)
実際、動画から静止画を取り出すためにコマ送りをすると、北島選手のキックは非常に少ないコマ数で終わってしまい、足が単純に前後しているのが良く分かる。 特に蹴り出しがあっという間に終わってしまい、回転動作を辞める事で、動作時間がかなり短くなっている事が分かる。 前章で各世代のキックを2枚ずつ示したが、コマ数の多い「回転させるキック」と「北島選手のキック」を同じコマ数で対比させるのが少し大変であった。 ※※ 備考 ※※ 提示された後には誰でも理解できるようになるが、「回転させて挟む」という大常識を捨てて最初に思いつくのは非常に難しい。 しかし、ここで注意して欲しい。「キックは、足をまっすぐ前後させる」というのは「見た目」的な解釈であり、戦略視点的な見方だ。 選手本人が感じている実際のウィップキックの蹴り方は、違う。足を前後させるのではない。 「煽らないドルフィンキック」なのだ。
平泳ぎの苦手な人にはまったく理解できない話なのだが、平泳ぎが得意な人はバタフライのドルフィンキックを打つのが非常に辛い。 (自由形のキックも辛い。もちろん何を泳がしても得意な人もいるが、私もそうだが平泳ぎを専門にしている選手には「専門種目の平泳ぎ以外はまったく苦手」という人が、他の3種目を専門とする人より圧倒的に多い) そこで、疲れてくると、だんだん通常の「煽るドルフィンキック」が打てなくなり、「平泳ぎのキックのように足首を返したドルフィンキック(煽らないドルフィンキック。平泳ぎの小さいキック)」を使うようになる。 平泳ぎの苦手な人は「キックを煽ってしまう」と悩むので、この話は理解できないであろうが、平泳ぎの得意な人には「そうそう」と、うなづく人が多い話だ。 この「煽らないドルフィンキック」が、ほぼ、ウィップキックだ。 泳いでいる本人からすれば、ドルフィンキックを蹴っているつもりにかなり近い。
前章で示したように見た目には、林亨選手の時代のキックも、北島康介選手のウィップキックも大差ないように見えるだろうが、感覚的にはまったく違うキックである。 ※※ 備考 ※※ 平泳ぎのプルでリカバリーを水上に回す泳法が開発された。これは限りなくバタフライに近いのだから、当然圧倒的に速い。 そこで、1954年に平泳ぎから、バタフライとして独立した。ただし、初期のバタフライは、キックが平泳ぎ、プルがバタフライだった。 平泳ぎからバタフライに転向した、長沢二郎さんは、膝の故障から平泳ぎのキックが打てなくなり、膝を曲げず足首も伸ばしたまま上下させてバタフライを泳いだ。ドルフィンキックの誕生である。 現在のバタフライを完成させたのは長沢二郎さんであり、その功績から1993年に国際水泳殿堂入りをしている。 また、1972年ミューヘン五輪100M平泳ぎ金メダリスト田口信教さんの開発した「田口キック」は、ドルフィンキックをヒントにして、膝を開かず蹴り込むキックを開発した。 このウィップキックは、写真で見ても、動画で見ても、あまりうまくイメージが作れない。 キックは膝から先の動きが一番特徴的に見えてしまい、イメージが捉えにくいからだ。見る場合には、膝の動きに集中して見るように意識する必要がある。
図 19-1 (2008年北京五輪100M決勝 北島康介)
上記したように、私の感覚から捉えた「ウィップキックを使ったブレストのイメージ」は、見た目とは大きく違って、ほとんどドルフィンキックだ。 北島康介選手のキックも膝の動きに集中してみれば、「足を前後に動かしている」「回転させている」というよりも、ドルフィンキックのように、膝が水面に対して上下しているだけである事が多少見て取れると思う。
私の感覚では、ウィップキックでは引き付け動作というのはほとんどなく、図 19-1の写真では2枚目までが引き付け動作だ。北島選手もおそらく3枚目では、もう押し出しが始まった後の気分でいるはずだ。 「足首を反そう」と思った時が引き付け完了であり、押し出しの始まりだ(2枚目の写真)。
ウィップキックは 1. ドルフィンキックを打つようにして膝を曲げる。 の2ステップだ。
「3枚目の写真で足首が返りながら、まだ引き付け動作が行われているじゃないか」 と思うだろうが、それは「2つの理由」で違う。見た目の動作と本人の感覚は違っているはずだ。 ひとつは、引き付けの勢いで移動しているだけであり、2枚目の写真の後「足首を返そう」と思った瞬間に本人はもう押し出している気分でいるはずだ。
もうひとつは、第15章で指摘した「北島選手の呼吸動作は真上に上がって、ストンと真下に落ちる」という動作と関連している。 「前に進んでいるのに真下に落ちる」事は現実的には不可能だ。 しかし、北島選手の呼吸は、ストンと落ちるように頭が沈んでいく。
この動作を注意深く見ると、北島選手は呼吸後、沈み込みながら少しバックしているように見える。 上体を水中に沈み込ませつつ、腰が水面で後ろにバックしている動きが見て取れる(自分の持っている動画で確認して欲しい)。
図 19-2
つまり、図 19-1の写真の2枚目から3枚目の動きは、足首にだけ注目して写真を見ると、かかとがお尻に近づいているようにだけ見えるが、実際には かかとも近づきつつ、お尻の方もバックしてきている。
本当に北島康介選手もそう思っているかは分からないが、少なくとも私が自分で泳ぐ感覚ではそうだ。 また、第16章で紹介したNANDAの番組の中で「押すように蹴り上げる」という北島康介選手の発言は、この動作に繋がっているものと思われる(押すように蹴り上げつつ、空蹴りしない)。 だから、呼吸後にストンと落ちるように頭が水面下に沈んでいくのだ。
上体が沈み込む力を利用して、腰を後ろに押し出すように上半身を沈み込ませれば、沈み込む力をキックの押し出し力に利用できるし、後方に強く押し出すための膝の屈曲角度も確保でき、さらに、反動ブレーキも和らげる事が出来る。 (かかとや膝を前方に引き付けつつ、お尻や太ももを後方に下げてくれば、引き付け角度を浅くしたのと同じような動作効果が得られる。)
つまりこの方法は、 「ドルフィンキックのような気分で、引き付けの浅いキックを打ちつつ、押し出しに必要な膝の屈曲を確保する方法」 なのだ。
もし、この私の分析が正しいとすれば、「失速を招く呼吸」という、「推進には無駄な動き」すらも、どうにかして利用しようという姿勢が、北島選手のあらゆる動作の中にあり、世界一の効率的な泳ぎが出来ているという事になる。これは、人生教訓とまったく同じだ。 「マイナスな事をマイナスと捉えて処理するから、マイナスな事からマイナスな結果が生まれる。マイナスな事をプラスと捉えて処理すれば、マイナスな事から非常に大きなプラスが生まれる」 この取り組み姿勢が、強さを作り、勝者となる。
この動作は、理屈としては高度だが、動作としては 「伏し浮き姿勢に戻っているだけ」 だ。 胴体部分の感覚だけに絞って見れば、ゆりかごのように行ったり来たりしているだけで、理屈ほど動作は難しくない。
図 19-3
以前は、「呼吸後、前方に頭を突っ込む」つもりで泳いだ。 「前へ、前へ」という気持ちに素直に従った動きだ。しかし、北島式の呼吸動作は、 「呼吸後、伏し浮き姿勢に早く戻るために、前方に突っ込まず、後ろに戻る」 という方法を用いている。
長い時間、空中を前方に動いた結果、キックの押し出し動作がすっぽ抜けるのを避けて、後方にバックしながらより早くフラットな伏し浮き姿勢に戻っているのだ。 その動作が結果的に、キックをより強く押し出す動作に繋がっているのだ。
難しいのは、この胴体部分の動きに、プルとキックのタイミングを合わせることだ(ハイエルボープルでは、上半身がプルのリカバリーに乗り込んでしまい、タイミングが合わせられない)。
【キック】 【プル】
このキック、プルのタイミングを胴体部分の動きと合わせる事で、体幹部分を使って効果的に泳ぐ事が可能になる。 タイミングさえ合えば、非常に気持ちよく、かつ、力強く泳げるが、タイミングがズレると、プルの引っ張りがすっぽ抜けて呼吸のタイミングが合わず、キックも効かない。
このタイミングを合わせるコツは、あくまで「私の場合」ではあるが、 「肘と膝を水面ギリギリで動作させる。肘と膝を水面で前後に滑らせるつもり」 で泳ぐと、タイミングを合わせやすい。 または、伏し浮き姿勢を作った時の肺(浮心)の状態を出来るだけ崩さないように維持しながら泳ぐと、タイミングが合いやすい。
ただし、これは「私の感覚」だ。他の人には合わないかもしれない。他人の言う事は参考程度に留めて、自分の感覚を大切にする事を忘れないで欲しい。 「速くなる事」や「勝ち負け」は、目標でしかなく、「自分のスタイル」「自分の泳ぎ」を確立する事が泳ぐ事の目的だ。
以上のような事から、ウィップキックの動作を説明するのに、外側の視点にだけ立って、 「足を引き付け、お尻の所でかかとを膝より外に返して、後ろに狭く回転させて蹴る」 なんて、「写真の見た目」通りの解説は、表面だけを捉えた嘘っぱちで何の役にも立たないと私は思う。 私の感覚は、優れているわけではないので、参考程度にしかならないが、私が捉えている「ウィップキックを使って平泳ぎを泳いだ感覚」では、上記したとおりだ。
※※ 参考 ※※ 私は田口さんの泳ぎは、スイマガなどの写真でしか見たことがなかった。こんな感じの写真だ。
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田口キックの水中映像は見た事がないのだが、2008年北京五輪前にNHKのBSで田口キック開発の番組をスポーツジムでランニングマシーンを走りながら見た(ので、残念ながら写真がない)。 この時、初めて田口キックを動画で見て、驚いた。プルとキックのタイミングが「縮んで伸びる」タイプの旧式である事から、泳ぎ自体は確かに古臭いのだが、キックだけを見ると、「2008年より未来に行っているんじゃないか」と言っても過言ではない非常に鋭い高速キックをしていた(田口キックは1970年)。1980年代に使われた回転挟み込み式の「のんびりしたキック」とはまったく違っていた。 田口キックは、斜め下に向かってまっすぐ高速に蹴り込んでいた。しかし、ウィップキックは水平に真後ろに蹴る。 田口キックの蹴る方向を変えたのが、おおよそウィップキックではないかと私は思う。スロードノフ選手のウィップキックが近いかもしれない。 (しかも、北島康介選手のウィップキックよりずっと高速だ) ただし、次項で述べるがウィップキックは「直接前進式」であるのに対し、田口キックは推進力を発生させた「二次的な推進方法」であるように見えた。 ただ、もしかすると、未来のキックに繋がるヒントが田口キックにはあるかもしれない。
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