平泳ぎ (13) 〜 プル 2 〜 高橋大和 |
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「平泳ぎは抵抗が多いから、抵抗を減らす」 そんなミミッチイ戦略を使う時代は終わった。 第4章の「泳法戦略の大転換」で述べたとおりだ。21世紀はもっと大胆な戦略を採っている。
「抵抗ならやめてしまえ」 これだ。
「抵抗を減らす」のではなく、はなから「抵抗なら動かさなければいいじゃん」という、ある意味、「逆転の発想」だ。 「抵抗を減らした」のではなく、「結果的に抵抗が減った」のだ。 原因と結果を反対にしたのだ。
それを最も端的に見て取れるのが、北島康介選手のストローク数の少なさだ。100Mの前半ですら16ストロークしか動作していないのだ。 われわれ1980年代の選手だって「ピッチ泳法よりも大きく泳いだ方が良い」と言われていたが、200Mのレースでさえ50Mを16ストロークで泳ぐことは、考えられない事だ(おそらく、20ストローク未満の選手はいなかったはずだ)。 われわれ1980年代の選手が、「膝の引き付け角度を少し浅くして抵抗を減らす」といった小さな部分にばかり視点を向け泳法戦略を考えていたのとは違い、 「抵抗なら動くのをやめてしまえ」 とばかりに、大胆にも動く事をやめる方法を徹底的に追求したのだ。徹底的に。
この「戦略の大転換」が起きた事で、チョビチョビ伸びていた世界記録が21世紀に入り急激に伸びるようになって、高速化の時代がやってきたのだ。 「ストローク数」という「体全体の大きな視点」に対してだけ「抵抗ならやめてしまえ」という戦略を適応したのではない。 もっと徹底的に適応し、プル動作ひとつに対しても同じ戦略を適応してしまったのだ。
これまでの説明でも少し触れて来たが、プル動作がスロードノフ選手と北島選手ではまったく違う。 見た目の差は小さいかもしれないが、動作感覚としてはまったく違う。
「手を胸の下に掻き込む(抱き込む)プル」の時代は終わった。 「手で進もうなどと考えない。プル動作の推進力は必要ない。タイミングを取るだけ」
とプルの推進力をバッサリ斬って捨てたのだ。
「ん??北島康介選手はプルでも進んでんじゃないの?」 と思った人も多いだろう。それは2008年の北京五輪だけを見ているからだ。 2004年のアテネ五輪前、北島康介選手のコーチである平井コーチは、メディアにこう話していた。 「もう少し手をかかせたいんだけど、バランスが崩れるから、かかせられない。」 その2年も前の2002年に北島康介選手は200M平泳ぎで2.09.97の世界記録を樹立した。2004年アテネ五輪では100M、200M平泳ぎで金メダルを獲得した。 2008年北京五輪代表選考会前、北島康介選手のコーチである平井コーチは、メディアにこう話していた。 「やっと、プルをかかせることが出来るようになった。これまでキックだけで進んでいた二輪駆動だったのが、やっと四輪駆動で泳げるようになった」 そして6月に200Mで世界新を出し、8月の北京五輪で100Mで世界記録で金メダル、200Mでも金メダルを獲得した。 100Mを59秒で泳ぎ、200Mを2分9秒で泳ぐアテネ五輪金メダリスト北島康介選手ですら、プルから大きな推進力を得ようなどとは考えていなかったのだ。 20年も続けた競泳の集大成といわれた最終段階でやっとプルから推進力を得てスピードアップを図ったのだ。 「世界の北島康介」ですらそうなのだ。
筋トレであれだけ大きくなった体を手に入れた「世界の北島康介」ですら、プルから推進力を得る作業は最後の最後に後回ししたのだ。 われわれ一般選手が取るべき道は自ずと決まってくるのは分かるだろう。 だから、プルは捨てる。プルの推進力は必要ない。
ここでトルネード泳法理論をよく思い出して欲しい。 「平泳ぎは、渦に乗る事が大切」 この本質を読み取れば、答えは出る。 「渦はどこから来ているのか?」 そう、プル動作から作られている。プルは渦さえ作れればそれで良いのだ。
推進力は、その渦に乗ったキックで生み出せばよい。泳ぎ全体のタイミングで生み出せばよい。 渦に乗ってストローク数が減って、結果的に抵抗が激減した事で穴埋めすればよいのだ。 もし、手の力が余っているのなら、後半の余力に取っておけばいいのだ。 それでもアテネ五輪金メダリストと同等のテクニックなのだ。
そこを踏まえて、スロードノフ選手と北島康介選手のプル終盤からリカバリー動作を見てみよう。
図 13-1 (2001年 スロードノフ選手)
「手のひら(あるいは肘)の位置」と「アゴの位置」との関係に注目して写真を見て欲しい。 スロードノフ選手は旧式の平泳ぎ通りに、胸の下まで手を引っ張りこんでいるのが分かるだろう。1980年代の選手なら見慣れた映像なので、何の不思議も感じないだろう。 ※※ 参考 ※※ 2008年の肘と見比べれば分かるが、この頃はウェーブ風に泳いでいた事もあり、肘をかなり後ろまで引っ張っている。2008年には引っ張るのをやめているのが分かる。 しかし、2008年北京五輪100M平泳ぎ決勝の北島康介選手の写真をみれば、「抵抗ならやめてしまえ」の意味が実感できると思う。
図 13-2 (2008年 北島康介選手)
北島選手はアゴより前でプル動作を行っている事がはっきり分かるだろう。 アゴの前まで肘を引っ張ってきたら、肘をグルンと内側に反転させ、そのまま前方へリカバリーしていく。 従って、アゴ(肩)より後ろへは肘が行かない。
肘を肩より後ろへ引っ張ると、「キックの引き付け動作で、膝が腰を通り過ぎてお腹まで引き付けた時」と同じ事が起きる。 つまり、作用点(肘)が支点(肩)を前後してしまうと反動ブレーキが大きくなってしまうので、やめてしまったのだ。
しかも、肘は水中方向にほとんど動いていない。 感覚的には1番目の写真の状態にある「水面の肘」を「水面で閉じる」感覚に近い。 もちろん、視覚的には水中にも動くが、感覚的には水中を動くイメージは「ない」か又は「小さい」。 肘を出来るだけ上下させず、代わりにミゾオチから上を水上に上下させている。 水上に上がった肩下のスペースを使って肘の前方回転動作を行っている。
ここで、よく注意してもらいたい事がある。今回だけではない。すべてにおいてで注意してもらいたい事がある。 人間は視覚情報に頼り過ぎて生きている。 視覚は、現実とは違った見え方をしている事を忘れていたり、あるいは、それを知らない人がいる。 視覚に騙されると、現実を間違って捉えてしまう。視覚情報に頼りすぎるのは非常に危険だ。視覚はあくまで感覚の補助手段だ。 説明の証拠のために、こうして写真を示しているが、「写真に写っている手の軌跡にだけ」、意識を奪われてはいけない(足でも体全体でもそうだが)。 写真を見て、「その写真が何を意味しているのか」を読み取らなくては現実から離れてしまう。
北島選手のマネをして泳ごうとしているのは自分である。 自分の体が真似できなければ、いくら写真を見てもしょうがないわけである。 選手は研究者ではないのだから、理屈だけ分かったってしょうがないのである。
写真から「北島選手の頭の中にあるイメージ(本質)」を読み取り、自分の頭の中で自分用のイメージに加工し直し、その自分用のイメージを使って本物の自分の体を動かさなくてはならない。 北島選手の写真と「見た目」が同じ軌跡になるように泳いでも、絶対にそのようには泳げない。 陸上でもマネるのは難しいのに、水中ではもっと難しくなる。自分の泳ぎを目で見ながら泳ぐ事だって出来ないのだから、なおさらマネできない。 しかも、静止画ではその動作スピードが分からない。 「グゥーっと」かいているのか、「さっと」かいているのか分からない。回転途中なのか、引っ張っている途中なのか分からない。
従って、マネをするには、北島選手が持っているイメージを読み取って、そのイメージを自分の体で表現できるイメージに加工し直す作業が必要なのだ。 そこでもうひとつ、注意して見てもらいたい点がある。北島選手の2番目と3番目の写真の肘の閉まり具合だ。スロードノフ選手の写真とも比べて欲しい。 北島選手の場合は、「2番目」より「前方に移動させた3番目」の方が左右の肘がグッと閉まっているのが分かるだろう。 これが何を意味しているのかは、実際にこうなるように泳いで見ると分かる。 「北島選手のプルでは、水を抱き込む事をしていない」 のである。
図 13-3 もちろん、スロードノフ選手のように胸の下に掻き込む旧式のプルでも100Mを59秒で泳ぐのだから、まったく通用しないというわけではない。 しかし、北島選手の肘はそうなっていない。 (スロードノフ選手のように肩すら上下動しない泳法なら、肩下のスペースが狭く、北島選手のようなプル動作でスピードを出すのは困難なため、スロードノフ選手式の肩すら上下動しない泳法を採用する選手は、胸の下にまで引っ張る方式の方が良いと思われます。)
北島選手が持っているプル動作の意識を読み取ると 「ストリームラインから、肘を引っ張って来て、前に戻す」 という2ステップ方式で意識を持っているはずなのだ。
古い時代のプルのように 「ストリームラインから、左右に手を開いて水を掴み、その水を胸の下に抱き込んでから、前に戻す」 という3ステップ方式ではないと言える。
つまり、古くに言われた、「平泳ぎのプルは、キャッチした水を胸の下に掻き込む事で加速する」という事は今はしていないのである。 「今はしていない」というより、トルネード効果で見る限り、水を胸の下に抱き込む勢いではほとんど加速できない事を意味している。
なぜなら、手を水面下に動かす動作は、加速するためではなく、渦を発生させるために行う動作だからだ。 実際、足の指を完璧につけたまま(輪ゴムかヒモで結んだような状態)で、一切ドルフィンキックを使わずに、プル動作をしてもほとんど進まない。プルの練習でグングン進むのは、腰を動かしドルフィンキックを使っているからに過ぎない。 純粋なプル動作では推進力はほとんど生まれない。 従って、プル動作の主目的は、推進力を発生させる事ではなく、渦を発生させる事といえるのだ。
ここで意識をもう一度、話の最初に戻して欲しい。 これは2008年北京五輪の北島康介選手の写真である事を忘れてはいけない。 「やっと手もかけるようになった。四輪駆動になった」 プルで掻く意識を持った2008年北島康介選手ですら、アゴより後ろにはかかないのだ。
この北島式の2ステッププルを1980年代の選手がやってみると、とても小さなプル動作に感じられる。 後述もするが、実はキックも同じように小さくなっている(ウィップキック)。
この戦略のすごい所は、そこだ。 凡人の発想を超越している。16ストロークというストローク数の少なさも驚くが、それ以上に、その裏にある戦略には度肝を抜かれる。 「ストローク数は、少ない方が良い」事は、1980年代でも十分認識されていた。ストローク数を減らそうと思えば、普通、 「ストロークを減らす分、プルとキックを大きく、力強くしてスピードを確保し、ストローク数を減らそう」 と考えるだろう。 実際、私などは、凡人選手らしくそうした。そうやって泳いで記録を伸ばそうとした。
しかし、天才の戦略は常識を超えている。 「プルとキックを小さくして、ストロークを減らす戦略」 を採用したのだ。 スピードアップするために採った戦略が、「小さく」とか「やめる」な訳です。おかしくないですか?おかしいと思わないですか?すげーと思わないですか? 私は、北島選手の泳ぎの裏にある本質、つまり「泳ぎの戦略」を知った時、「天才の奇才」には、織田信長の奇才にも通ずるものを感じた。
もちろん、北島康介選手は「理屈」を元に泳ぎを作ったのではなく、「感覚」に多くを頼って、結果的に今の泳ぎにたどり着いたのだろうが、「感覚的結果」ではあれ、その戦略を受け入れた感覚に度肝を抜かれる思いがした。 「プル動作は、肘を少し(アゴの前まで)引っ張ったら、肘をグルッと内側に内転させる」 そんだけ。そんだけでいい。
「・・・・あれ?肘を引っ張る?引っ張ったらダメだろうよ!ハイエルボーちゅーてな・・・・・」 と思った人も多いだろう。 北島選手の肘の動きをよくよくよーく見て、しっかりイメージしてみるなり、陸上で良いので、北島選手のプル動作と同じになるように真似してみてください。 ハイエルボーの時代は終わってしまったのです。
肘。引っ張るしかないです。引っ張り方は後述しますが、引っ張るしかないのです。 最近、自由形ですら「ハイエルボー」って言葉を聞きません。 もう5年やそこらは聞いた事も、使った事もない言葉です。ヘタをすると、若い選手には「ハイエルボーって何?プロレス技ですか?」なんて言われちゃうかもしれません。 (いや、若い選手も知ってるかもしれないですよ。でも、スイマガあたりでもまったく見なくなった文字であるのは確かです)
若い平泳ぎのトップ選手に「水没?なんですかそれ?」って言われたり、「平泳ぎのキックは膝から回転させない」とか、自由形のS字ストローク時代が終わったり、「肩甲骨を寄せるストリームライン」時代が終わったり、1980年代のありとあらゆる常識が覆り、私などは自分の歩んで来た歳月を感じざるを得ません。 さびしさは乗り越え、次項ではプル動作のイメージを検証する。
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