平泳ぎ (15) 〜 プル 4 〜 高橋大和 |
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第4章の泳法戦略の大転換などで何度か指摘しているように、21世紀に入って泳ぎを組み立てる時の戦略が大きく変化している。 プル動作だけを見ても同様だ。 科学的に言えば、伏し浮きの第4章の中で示した防衛大学の伊藤慎一郎さんが提唱しているスッポン泳法で指摘されているように、「揚力」を使う古い時代は終わり、「抗力」で泳ぐ新戦略が使われている。
「飛行機がベルヌーイの原理で飛んでいるわけではない可能性」をも知らずして、泳ぎを「飛行機の翼の流体」に例えて「揚力」「抗力」という言葉をなんとなく使って、もっともらしく説明する人は多いが、きちんとした定義から使っている人は私を含めてほとんどいない。 つまり、「抗力で泳ぐ」とだけ言われても、選手にはさっぱり分からないはずだ。 そこで私の解釈した、新型プルを説明する。
図 15-1
赤い矢印を見て「もー、またかよ」と思ったとおり、ベクトルがまっすぐ後方に向かっている北島康介選手のプル動作の方がベクトル的に効率的なのだ。
重心移動ベクトル化運動理論の第5章でも述べたように、 「手(上半身)は、重心(腰)を引っ張る道具」 の理屈通りに、重心をベクトル的にまっすぐ引っ張る動作通りだ。
旧型では、水面下の水を掴まえようとしているが(ベクトルが斜め下に向いている)、新型は自分の頭から見て水の側面をえぐるようにかく(ベクトルがまっすぐ)。 まるでハーゲンダッツアイスをスプーン(「手のひら」相当する比喩)でえぐるようにして、水の側面をかく。あるいは海ガメが前足で水の側面をかくイメージに近い。
ただし、このプルの違いは、単なるベクトル的な違いだけの話ではない。ここにはもっと深い秘密が隠れている。
ハイエルボーでは、腕を内転させて肘を上に向け、肘から先を曲げるようにして水を掴まえて推進力を得ようとした。 ところが、新型は違う。 新型プルは、水をまっすぐ引っ張る事で直接進もうとしている。「直接」だ。 推進力の考え方がまったく違うのだ。
図 15-2
旧型ハイエルボーでは「キャッチ」という概念が大きくあり、キャッチした水を胸の下まで抱き込んで、抱き込んだ勢いで加速しようとした。 この方式では、キャッチ動作では前へ進んでいない(もちろん、多少はスカーリング効果で進むが)。
しかし、新型は違う。ここでまた頭を「逆転の発想式」にモードチェンジして欲しい。 新型のキャッチというのは手首を返すだけだ(前章のボディービルのイメージ)。 手首に引っかかった水に肘や肩や腰が近づいていくのだ。 ほふく前進のイメージで進む。
イメージで違いを表せば、 「旧型は手が体側に近づいてきた」 が 「新型は手に体側が近づいていく」 のだ。 ※※ 備考 ※※ 腕で手を引っ張るのは、素人の人がよくやる悪いプルの代表例の「肘が逃げる(水面をなでる)」良くない引っ張り方だ。 新型プルの「肘を引っ張る」動作は、バーを広めに持った懸垂動作や斜め懸垂の要領に近い。斜め懸垂などでは、腕で引っ張るのではなく、広背筋を使って胸を鉄棒に引き寄せていると思う。その要領に近いと思われる。 ただし、私自身が最新式の平泳ぎを完全に身に着けているわけでもなく、また、日本ランキング50位内にやっと入った程度の感覚しか持っていないので、正しい筋肉動作解析かは断言できない。 この「手を引っ張る動き」の筋肉分析は、私の感覚が多く含まれている分析なので、自分でもよく検証して判断して欲しい。 実際に泳いでいる姿勢からプル動作を見ると、肘を前後に動かすのではなく、ストリームラインで伸ばした腕の肘の位置に、肩のラインを持っていく感じだ。 感覚的には、肘から先で掻くのではなく、脇で掻く感覚だ。 「脇で掻く」というのは、脇を使って肘をミゾオチに向けて横から挟む感覚だ。
これは、「推進の仕方」がまったく違う事を意味している。 旧型は手を引っ張り終えるまで加速できないが、新型は手で水を軽く引っ掛けた直後から加速する事が出来るという事だ。
イメージ的には、旧型は「モーターボートのエンジンの勢いで進んでいた」が、新型は「蒸気船のように船の両脇についた水車で転がるように進んでいる」ような違いだ。 機械ではモーターボートの方が圧倒的に速いが、人間は手も足も、モーターボートのエンジンのような高速回転は出来ない。 人間の体はどちらかというと蒸気船のような低能力のエンジンしか備わっていないから、能力どおりの水車式の方がうまく進めるのだ。
新型北島式(水車式)の難しい所は、単に手を引っ張っても「ほふく前進」のように体が手の方に近づかない点だ。 伏し浮きの姿勢で下半身(重心)を軽い状態にしてストリームライン姿勢が作れないと、下半身がプル動作に吸い寄せられるような事はない。
伏し浮きが出来ない人のように、体が水に(重心に)どっしり乗っかってしまっては、手を引っ張っても重くて前方にスライドせず、逆に手の方が近づいてきてしまう。 ここでも、伏し浮きの重要性が大切になってくる。
ちなみにハイエルボー方式では、ストリームラインで伏し浮き姿勢を取ったとしても、その後にハイエルボーで手の上に沈み込むようにして上体が乗り込んでしまい、肘に体が近づくような動作にはどうしてもならない。 「本当かよ?」 という気がするだろう。
確かにこの説は科学的ではない。 「手が体に近づく」のか「体が手に近づく」のかは、相対的な問題であり、どっちがどうだと言い難く、感覚やイメージの世界の話になってしまう。 しかし、イメージとしては間違いなく合っているという自信がある。 というのは、2004年頃に北島康介選手が、泳ぎのイメージを「尺取虫のイメージ」と表現した事があった。 何で見たのか読んだのかはっきり覚えていないし、例えた虫が尺取虫だったかも曖昧なのが証拠に乏しく申し訳ないのだが、 「尺取虫が頭を支点にして体を上に曲げてお尻を頭にくっつけ、今度はお尻を支点にして頭を前に伸ばして進む」 という動作に例えた事があった。
この北島選手の尺取虫動作イメージが、ほふく前進式イメージ説を裏付けていると言えると思う。
図 15-3
図 15-3は分かりやすいように多少大げさな模式図としたが、尺取虫前進イメージ(あるいは、ほふく前進イメージ)だ。
肘先、膝下がないのは、第11章などで述べているように、それぞれ肘、膝の動きに追随しているだけなのものなので図示する必要がない。 また、実際にはキックの引き付けの時間があり、その間はトルネード泳法で説明したとおり渦に乗り体が前にスライドするが、手のイメージに集中できるように、トルネード効果については省いて図示している。
おおよそ「手の動作 = 肘の動き」である事からすると、肘がリカバリー動作を含め単純に前後方向に移動するだけの尺取虫式イメージは、水面下への動きが入るハイエルボーとは違い、ベクトル的にも非常に合理的なイメージであると言えるし、北島康介選手の肘が水面で横方向に開閉するだけで、水面下への縦方向には大きく上下しない事とも一致している。
また実際に、北島康介選手の呼吸動作を注意深く見ると、頭が「真上に上がって、ストンと落ちる」ように水面に沈んでいく、尺取虫的な動きが見て取れる。
ここまで、プル動作を細かく説明したが、プル動作は「抵抗ならやめてしまえ」でまっ先に削られる部分だ。 プル動作で推進力を得るために、細かく説明したのではない。
プルの古い概念を打ち壊して「プルから推進力を得る」という無駄な思考を捨てて、キックの推進力に集中するために細かく説明したのだ。 プルは、「伏し浮き姿勢を基本として泳ぐバランスのため」や「呼吸やプル/キックのタイミングのため」にあるだけで、プル動作を追求して推進力を得ようなどという無駄な練習時間はいらない。 北島康介選手と同じように、世界記録を狙う頃になってから、プルの推進力を追及しても十分に間に合う。 キックの推進力を「いかに増すか?いかに殺さないか?」に練習時間を割く方が、少ない練習時間を合理的に使う事になり、ずっと効率的な成長方法だ。
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