平泳ぎ (4) 〜 フラット泳法への回帰 〜 2008.10.01 |
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21世紀(2001年)に入って、 『時代が30年、逆戻りしたのではないか?これは1970年代の泳ぎではないのか?』 という衝撃的な平泳ぎを目にする。
100M平泳ぎで初めて1分の壁を破ったロシアのスロードノフ 選手の上下動がないフラットな平泳ぎだ。
2001年福岡世界水泳100M平決勝 ※備※ この7年後の2008 年北京五輪100M平泳ぎ決勝では、北島康介選手と世界で初めて1分の壁を破ったスロードノフ選手が一緒に泳ぎ、このレースで北 島康介選手が世界で初めて59秒の壁を破るレースとなった。 まさしく歴史的ワンシーンと言えるレースだった。
スロードノフ選手の平泳ぎは、1970年代の泳ぎのように上下動が少なく、ストリームライン姿勢に入っても、頭は完璧に水上に出ていて、水 没禁止時代でも余裕で通用する泳ぎで、古臭く見えた。
しかし、水中から見た時のストリームライン姿勢は、お腹がへこみ、まるでお尻が引けた ようなストリームラインは、今まで見たことのない泳ぎ方だった。
2001年福岡世界水泳100M平決勝
2008年の現在では、女子平泳ぎのリー ゼル・ジョーンズ選手も同じような泳ぎ方をしている。
※備※ ちなみに、北島康介選手の泳ぎは水面下に頭が沈むので、水没禁止時代なら確実に失格を取られる。 もし、1972年ミューヘン五輪100M平泳ぎで、1分4秒9で金メダルを取った田口さんの時代に、スロードノフ選手が登場し59秒で泳い
でいたら、世界はどれだけひっくり返ったかと想像すると面白い。
この『腰が後方に引けたストリームライン』は、伏 し浮き姿勢(推進力ゼロでも浮ける姿勢)から手足を動かす事で腰の上下動を止めた事を示していて、 上半身の上下動で下半身を引っ張り上げていたウェーブ泳法とはまったく違う新しい方法 で腰の上下動を止めた事になる。
ウェーブ泳法では、プル動作開始直後から、手で水面を下方に押さえる事で体を上に引き上げ、キックを斜め下に蹴り込む事で、腰の位置を無理 やり保っていた。
つまり、ウェーブ泳法は、表面的に腰が止まっているように見えるだけだったと 言えるが、 スロードノフ選手の泳ぎ方は、腰を無理やり引っ張り上げて保つ必要がない分、楽に泳げ、20年ぶりにフラット泳法へと回帰してきた。
※※ 備考 ※※ 例えば北島康介選手も、ウェーブ泳法の影響を若い頃ほど大きく受けており、4位だった2000年シドニー五輪前後までは、手のひらを水上に 完全に出して、前に投げ出すようにしてプルのリカバリーを行っていたが、 年々、よりフラットな泳ぎになっていって、2008年の北京五輪では、もう、手のひらはほとんど水上には出ず、手を前に投げ出すような動作 もなくなっていた。 その結果、シドニー五輪翌年の2001年日本選手権100M平 泳ぎでは、 前半を28.56で折り返して、1.01.26(後 半32.70。当時の日本記録) だったが、2008年北京五輪では、 前半を28.03で折り返し、58.91(後 半30.88。世界記録) で泳いでいる。 『2秒半』記録を伸ばすのに、後半だけで2秒近くも縮めてい る。
ただし、田口キックの田口信教さんだけは、1972年ミューヘン五輪決勝で、前後半とも32秒の完璧なイーブンペースで泳ぎ、1分4秒9の 世界記録で金メダルを獲得している。 決勝のレース展開とは違い、予選と準決勝では、前半を突っ込み、後半流す真逆のレースを展開した。 前半を突っ込んだ準決勝で、1分5秒1の世界記録を出すのを見た他の選手たちは、決勝で前半から突っ込んでしまい、ペースを乱され、田口さ んのレースにすっかり翻弄された。 野球でいう『長島さんのような偉人』という意味では、田口さんの常識外れは、北島康介選手の比ではない。
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