重心移動ベクトル化 競泳理論 (1)

〜 スポーツは重心のコントロール方法を競っている 〜

2010.08.01

  

 

■ 重心の移動速度を競っている競泳

 

 

競泳は、重心(丹田)の移動速度を競っているに過ぎない。

手や足は、その重心を移動させるための道具に過ぎない。

 

『胴体に、手足の付いた人間』という『安易で表面的な視点』だけでレースを見るから、まるで『人間の体の移動速度を競っている』かのような錯覚に陥る。

 

物事の根底部分にある本質を見ずに、『表面的な視点』で競泳競技を見るから、目に入ってきた映像の中で、人間(体全体)にピントが合ってしまう。

 

脳みそというフィルターを通した結果、現実は曲がってしまって、

『自由形、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ』

が別の競技に見えてしまう。

 

『競泳競技という1つの競技』

あるいは、

『スポーツという体を動かす事を競っている』

という視点が欠落し、

『運動という共通項』

が、見えなくなる。

 

ピタゴラスレオナルド・ダ・ヴィンチといった昔の科学者は、数学者であり、天文学者であり、哲学者でもあり、宗教家でもあり、芸術家でもあったからこそ、

物事の根底に流れる共通項の方向から、各々の分野にまたがる才能を発揮した』

はずなのに、現代の学問では、あまりにも細かく細分化して専門化し過ぎたせいで、

『物事の根底から、思考を発展させる』

のではなく、

『物事の表面から、根底に向かって掘り下げるだけ』

になってしまって、各々の学問に縦割りの弊害が発生しているのと同じだ。

 

 

『人間の移動速度を競っているわけではない。重心の移動速度を競っている』

それが、競泳競技の『本質部分』で、

『重心をまっすぐ(最短距離で)移動させるための、体の操作方法を身に付け、重心に、より大きな力を伝えた選手が勝利している』

 

 

信じられなければ、テレビ映像ではなく、試合会場に行って、泳いでいる選手のお尻をジーっと見ると良い。

加速/減速を繰り返す手足とは違って、お尻(骨盤 or 重心 or 丹田)は、一定のスピードで移動していて、

『種目に依存する事なく、競泳は、重心の等速移動運動』

である事が、肉眼で見て取れる。

 

 

■ スタートだって、重心の放物移動

スタートの飛び出しを見れば、弾道スタート理論どおりに、重心が放物線を描いているに過ぎない事が見て取れる。

 

※※ 備 ※※
2007年当時、インカレチャンプだった写真の日原将吾は、体が小さいにも関わらず、200M自由形短水路日本新記録保持者(2010年現在)にまで成長。

2009年には初の日本代表入りをしました。おめでとー
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■ 浮き上がりだって、重心の直線移動

平泳ぎの『ひと掻きひと蹴り』のテクニックで解説したとおりに、北島康介選手の腰も浮上してくる。

 

 

 

■ 泳ぎだって、重心の直線移動

上下動しているよう見える平泳ぎやバタフライでさえ、腰だけは上下動せず、一定のスピードで等速運動している。

 

2008年北京五輪 100M平泳ぎ決勝