重心移動ベクトル化運動理論 (7)

〜 感覚と身体操作イメージ 〜

高橋大和
2008.06.01

  

 

「あなたは、愛おしい物や大切な人の手に触れる時、どのようにしますか?」

 

重心の作り方は分かった。上半身の動作は重心を引っ張る事に、下半身は重心を押し出す事に使う事も分かった。

実際に自分の体で「重心」を移動させるイメージを、自分の体の内側から捉えたイメージ図がこれだ。

 

図 7-1

 

太ももが重心を押すために棒で表されているのはすぐにイメージできると思う。

胴体部分が「棒」ではなく、「糸(あるいはヒモ)」で表されているのは、しっくりこないかもしれない。

 

しかし、私のイメージでは、やや太めのヒモ(ロープ)だ。

胴体に力を入れると、棒状に硬くなり、動作がギッコンバッタンとしてしまって、そのブレが体全体に伝わり、動作自体が力(りき)んでしまうためだ。

 

適度にリラックスしたしなやかな動作を行うには、胴体には力を入れないほうが良い。

そのために、棒ではなく、ヒモなのだ。

 

胴体は、そのヒモを脇から支えるようなイメージしか必要ない。

ヒモを支えようと、胴体部分に力を入れすぎると、胴体は縦に縮んでしまい、逆にヒモは緩んでしまう。

 

ヒモが常に張った状態にするには、胴体部分はリラックスし、適度な力でヒモの張りを維持するしかない。

こうして、一般的に良いと言われる「適度なリラックス状態」を作り出す。

 

この状態で上半身の動きを「重心を引っ張る動作」にするための力点が、肩から大胸筋あたりに自然と出来る、まっすぐな横への張りだ。

このイメージを受け入れてもらえると、上半身の動きは非常にイメージしやすくなる。

 

陸上競技では、なかなか体験できないかもしれないが、水泳競技の場合、例えばクロールで腕を回して進む時に、腕の力の入れ方が一定でないと、重心移動が「加速/減速」を繰り返して、効率の悪い上半身動作となってしまう。

つまり、胴体部分のヒモが緩んだり、張ったりして、重心を引っ張る効率が悪くなる。

 

アメリカンクラッカーの動作をイメージしてもらえれば、ヒモの弛む効率の悪さのイメージが分かるだろう。

自動車の運転で、急加速、急減速を繰り返すよりも、アクセルを一定に踏み続けて、一定の速度で走り続ける方が燃費が良い事と同じで、減速中の重心を、再加速させるよりも、小さい力を加え続けて一定のスピードを保つ方が、同じ時間内に同じ距離を移動するにしても、エネルギーロスが小さく、疲労も少なくて済む(慣性の法則)。

 

また、「下半身の力に見合った、上半身の引っ張る力」でなくては、やっぱり、ヒモは弛んでしまう。

ヒモが弛まないように、「下半身の押す力」と「上半身の引っ張る力」のバランスを取らなければならない。

 

もし、下半身の勢いがありすぎるのなら、下半身の出力をあえて少し抑えるか、練習で上半身を鍛えるしかない。

 

逆に、ウェイトトレーニングで鍛えやすい腕や上半身を、無駄に鍛えすぎても意味が無い事が分かるだろう。

腕を下半身の力に見合わない程に鍛えても、結局、下半身の力に見合うように上半身の力をセーブしなければ、手足のタイミングが狂って競技能力が落ちてしまうのである。

 

ヒモが弛まないようなバランスの取れた手足の強化と出力調整が、手と足の動作のタイミングを取るフォーム作りに繋がる。

従って、胴体部分のヒモに、力が常に一定にかかるような動作をするためには、この図7-1のイメージでしっくりくる。

 

つまり、胴体部分のヒモが緩まないように、上半身を使うという事だ。

 

図7-1の内部イメージに肉付けをして、もう少し大きな動きとしてイメージした図が下記の図7-2だ。

 

図 7-2

 

このイメージ図は、迷いの谷にはまり込んだベテラン選手ほど、よく理解してもらいたい。

 

競技動作を行う時、

「肘から先と膝から先が自分の体には付いていないんだ」

というつもりで、フォームを組み立て、動作を行う。

 

手先、足先はブラブラ〜っとしたまま動作を行うのだ。

「手は肘で掴み、足は膝で蹴る」のだ。

 

私はこのイメージを専門競技である水泳の動作から得たのだが、走る時であれ、野球のピッチャーやバッターであれ、ゴルフであれ、ありとあらゆるスポーツで共通のイメージであると確信している。

なぜなら、どんな競技でも力(りき)んで動作すると競技能力が落ちる。

適度なリラックス状態が必要だ。

 

アスリートならこれに異を唱える人はいないはずだ。

 

「リラックスとは、何か?何ゆえ適度にリラックスする方が、速いのか?飛ばせるのか?力が出せるのか?」

それは、「感覚」なのだ。

 

力(りき)むと、感覚が悪くなるのだ。

もちろん、直接的には「筋肉が棒状になってしまう」といった事もあるのだが、最大のデメリットは、感覚が悪くなる事なのだ。

 

冒頭で問うた

「あなたは、愛おしい物や大切な人の手に触れる時、どのようにしますか?」

を深く考えて欲しい。

 

「何ゆえ、大切な物は、そっと触るのか?」

それは、

「その大切なものに触った感覚を知りたい、感じたい」

からだ。

 

「感じたい」

のだ。

つまり、感覚だ。

 

リラックスすれば、より感覚が鋭くなり、逆に力を入れると力の刺激に感覚の刺激を消されてしまって、感覚が鈍くなるのだ。

競技動作でも同じだ。力(りき)めば、「手の感覚」「足の感覚」が鈍くなる。

 

忘れがちな事であるが、「感覚が鈍る事は、スポーツ選手として致命的な事」であるのだ。

 

どれだけ筋力を鍛えてつけても、どんなに理想のフォームを理論的に知っていても、感覚が鈍っていては、実際の体で理想のフォームを表現する事も出来ないし、鍛えた筋力を生かす事も出来ない。

ベテラン選手の迷いは、過去の経験や理論が頭の中にいっぱい詰まっていて、そのために頭で考えすぎて、感覚が鈍くなってしまっているのだ。

 

子供の頃には、迷いなどなかったのは、子供は感覚にほとんどを頼って運動をするし、生き方自体が、感覚の世界なのだ。

理屈は大人が持つもので、大人はなんとなく年を重ねていくと、感覚を失っていくのもなのだ。

 

その競技のベテランともなれば、年齢から来る鈍った感覚の上に、長年の経験から来る理屈に偏りすぎて、感じる能力を失っていく事は自然な成り行きなのだ。

 

「脳みそによる思考」と「感覚」は相反するもので、考えれば感覚が鈍くなり、感覚を感じていれば思考は出来ない。

その両者のバランスを取った状態が、「適度なリラックス」という状態なのだ。

 

肘から先膝から先が無いものと考える」

のは、腕と太ももの筋肉で力を発生させつつ、手と足の感覚を頼りに自分にベストなフォームを作り上げる作戦だ。

 

こうすれば、力を出しつつ、感覚も掴めて、自分に合ったフォームを模索していく事が可能だ。

 

大まかな動きは、図7-2の部分で表現し、大きな出力を得る。

この出力部分の動きは、頭で思考しても良いし、場合によっては競技中でも意識して注意を向ける事も良い。

 

しかし、手足の細かな動作は、思考をやめ、感覚を頼りにフォームを組み立てる。

こちらは、無駄な思考をすれば感覚が飛んでしまって、ぎこちない動作しかできなくなるので、競技中に手先、足先に対して思考はまったくしない。

感じるだけだ。

 

「そんな事では、最大限の力が出せないのではないか?」

と思うかもしれない。

しかし、それは間違いだ。逆に最も力が出るのだ。

 

手に鉄の棒(例えばバトン)を持ってグルグル手首を回すのと、先っぽに重りの付いたヒモをグルグル回す事をイメージして欲しい。

はたして、どっちが良いか?

 

棒の方は、「肘から先に力を入れた状態」と同じ状態のイメージだ。

重りの付いたヒモの方は、「重りが手首から先で、ヒモが肘から先」と同じイメージだ。

ヒモの方が勢い良くグルグル回せる事がイメージできたと思う。

 

硬い棒より、やわらかいヒモの方が、グルグル回せるのだ。

しかも、よりスナップが利くのだ。

 

ムチは、スナップが利くやわらかさを持たせてあるから効果的なのだ。

ムチが棒では、効果的には能力を発揮できないのだ。

 

従って、肘から先、膝から先は、肘と膝から伝わってくる力の動きに逆らわないように、肘と膝の動きに付いて行かせるだけで良いのだ。

肘から先、膝から先は力を入れる事よりも、最も良い軌跡を模索するために感覚を鋭くさせる方が重要なのだ。

 

それが最も効率が良く、結果的に最も力が入り、そして、疲労が少ないく、後半バテる事も押さえられるのだ。

良い事尽くめだ。

 

次項では、ここまでで理解した重心移動ベクトル化運動理論から見て「パウエル選手の実際の走法はどうなのか?」を見ていく。