重心移動ベクトル化運動理論 (7) 〜 感覚と身体操作イメージ 〜 高橋大和 |
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「あなたは、愛おしい物や大切な人の手に触れる時、どのようにしますか?」
重心の作り方は分かった。上半身の動作は重心を引っ張る事に、下半身は重心を押し出す事に使う事も分かった。 実際に自分の体で「重心」を移動させるイメージを、自分の体の内側から捉えたイメージ図がこれだ。
図 7-1
太ももが重心を押すために棒で表されているのはすぐにイメージできると思う。 胴体部分が「棒」ではなく、「糸(あるいはヒモ)」で表されているのは、しっくりこないかもしれない。
しかし、私のイメージでは、やや太めのヒモ(ロープ)だ。 胴体に力を入れると、棒状に硬くなり、動作がギッコンバッタンとしてしまって、そのブレが体全体に伝わり、動作自体が力(りき)んでしまうためだ。
適度にリラックスしたしなやかな動作を行うには、胴体には力を入れないほうが良い。 そのために、棒ではなく、ヒモなのだ。
胴体は、そのヒモを脇から支えるようなイメージしか必要ない。 ヒモを支えようと、胴体部分に力を入れすぎると、胴体は縦に縮んでしまい、逆にヒモは緩んでしまう。
ヒモが常に張った状態にするには、胴体部分はリラックスし、適度な力でヒモの張りを維持するしかない。 こうして、一般的に良いと言われる「適度なリラックス状態」を作り出す。
この状態で上半身の動きを「重心を引っ張る動作」にするための力点が、肩から大胸筋あたりに自然と出来る、まっすぐな横への張りだ。 このイメージを受け入れてもらえると、上半身の動きは非常にイメージしやすくなる。
陸上競技では、なかなか体験できないかもしれないが、水泳競技の場合、例えばクロールで腕を回して進む時に、腕の力の入れ方が一定でないと、重心移動が「加速/減速」を繰り返して、効率の悪い上半身動作となってしまう。 つまり、胴体部分のヒモが緩んだり、張ったりして、重心を引っ張る効率が悪くなる。
アメリカンクラッカーの動作をイメージしてもらえれば、ヒモの弛む効率の悪さのイメージが分かるだろう。 自動車の運転で、急加速、急減速を繰り返すよりも、アクセルを一定に踏み続けて、一定の速度で走り続ける方が燃費が良い事と同じで、減速中の重心を、再加速させるよりも、小さい力を加え続けて一定のスピードを保つ方が、同じ時間内に同じ距離を移動するにしても、エネルギーロスが小さく、疲労も少なくて済む(慣性の法則)。
また、「下半身の力に見合った、上半身の引っ張る力」でなくては、やっぱり、ヒモは弛んでしまう。 ヒモが弛まないように、「下半身の押す力」と「上半身の引っ張る力」のバランスを取らなければならない。
もし、下半身の勢いがありすぎるのなら、下半身の出力をあえて少し抑えるか、練習で上半身を鍛えるしかない。
逆に、ウェイトトレーニングで鍛えやすい腕や上半身を、無駄に鍛えすぎても意味が無い事が分かるだろう。 腕を下半身の力に見合わない程に鍛えても、結局、下半身の力に見合うように上半身の力をセーブしなければ、手足のタイミングが狂って競技能力が落ちてしまうのである。
ヒモが弛まないようなバランスの取れた手足の強化と出力調整が、手と足の動作のタイミングを取るフォーム作りに繋がる。 従って、胴体部分のヒモに、力が常に一定にかかるような動作をするためには、この図7-1のイメージでしっくりくる。
つまり、胴体部分のヒモが緩まないように、上半身を使うという事だ。
図7-1の内部イメージに肉付けをして、もう少し大きな動きとしてイメージした図が下記の図7-2だ。
図 7-2
このイメージ図は、迷いの谷にはまり込んだベテラン選手ほど、よく理解してもらいたい。
競技動作を行う時、 「肘から先と膝から先が自分の体には付いていないんだ」 というつもりで、フォームを組み立て、動作を行う。
手先、足先はブラブラ〜っとしたまま動作を行うのだ。 「手は肘で掴み、足は膝で蹴る」のだ。
私はこのイメージを専門競技である水泳の動作から得たのだが、走る時であれ、野球のピッチャーやバッターであれ、ゴルフであれ、ありとあらゆるスポーツで共通のイメージであると確信している。 なぜなら、どんな競技でも力(りき)んで動作すると競技能力が落ちる。 適度なリラックス状態が必要だ。
アスリートならこれに異を唱える人はいないはずだ。
「リラックスとは、何か?何ゆえ適度にリラックスする方が、速いのか?飛ばせるのか?力が出せるのか?」 それは、「感覚」なのだ。
力(りき)むと、感覚が悪くなるのだ。 もちろん、直接的には「筋肉が棒状になってしまう」といった事もあるのだが、最大のデメリットは、感覚が悪くなる事なのだ。
冒頭で問うた 「あなたは、愛おしい物や大切な人の手に触れる時、どのようにしますか?」 を深く考えて欲しい。
「何ゆえ、大切な物は、そっと触るのか?」 それは、 「その大切なものに触った感覚を知りたい、感じたい」 からだ。
「感じたい」 のだ。 つまり、感覚だ。
リラックスすれば、より感覚が鋭くなり、逆に力を入れると力の刺激に感覚の刺激を消されてしまって、感覚が鈍くなるのだ。 競技動作でも同じだ。力(りき)めば、「手の感覚」「足の感覚」が鈍くなる。
忘れがちな事であるが、「感覚が鈍る事は、スポーツ選手として致命的な事」であるのだ。
どれだけ筋力を鍛えてつけても、どんなに理想のフォームを理論的に知っていても、感覚が鈍っていては、実際の体で理想のフォームを表現する事も出来ないし、鍛えた筋力を生かす事も出来ない。 ベテラン選手の迷いは、過去の経験や理論が頭の中にいっぱい詰まっていて、そのために頭で考えすぎて、感覚が鈍くなってしまっているのだ。
子供の頃には、迷いなどなかったのは、子供は感覚にほとんどを頼って運動をするし、生き方自体が、感覚の世界なのだ。 理屈は大人が持つもので、大人はなんとなく年を重ねていくと、感覚を失っていくのもなのだ。
その競技のベテランともなれば、年齢から来る鈍った感覚の上に、長年の経験から来る理屈に偏りすぎて、感じる能力を失っていく事は自然な成り行きなのだ。
「脳みそによる思考」と「感覚」は相反するもので、考えれば感覚が鈍くなり、感覚を感じていれば思考は出来ない。 その両者のバランスを取った状態が、「適度なリラックス」という状態なのだ。
「肘から先、膝から先が無いものと考える」 のは、腕と太ももの筋肉で力を発生させつつ、手と足の感覚を頼りに自分にベストなフォームを作り上げる作戦だ。
こうすれば、力を出しつつ、感覚も掴めて、自分に合ったフォームを模索していく事が可能だ。
大まかな動きは、図7-2の部分で表現し、大きな出力を得る。 この出力部分の動きは、頭で思考しても良いし、場合によっては競技中でも意識して注意を向ける事も良い。
しかし、手足の細かな動作は、思考をやめ、感覚を頼りにフォームを組み立てる。 こちらは、無駄な思考をすれば感覚が飛んでしまって、ぎこちない動作しかできなくなるので、競技中に手先、足先に対して思考はまったくしない。 感じるだけだ。
「そんな事では、最大限の力が出せないのではないか?」 と思うかもしれない。 しかし、それは間違いだ。逆に最も力が出るのだ。
手に鉄の棒(例えばバトン)を持ってグルグル手首を回すのと、先っぽに重りの付いたヒモをグルグル回す事をイメージして欲しい。 はたして、どっちが良いか?
棒の方は、「肘から先に力を入れた状態」と同じ状態のイメージだ。 重りの付いたヒモの方は、「重りが手首から先で、ヒモが肘から先」と同じイメージだ。 ヒモの方が勢い良くグルグル回せる事がイメージできたと思う。
硬い棒より、やわらかいヒモの方が、グルグル回せるのだ。 しかも、よりスナップが利くのだ。
ムチは、スナップが利くやわらかさを持たせてあるから効果的なのだ。 ムチが棒では、効果的には能力を発揮できないのだ。
従って、肘から先、膝から先は、肘と膝から伝わってくる力の動きに逆らわないように、肘と膝の動きに付いて行かせるだけで良いのだ。 肘から先、膝から先は力を入れる事よりも、最も良い軌跡を模索するために感覚を鋭くさせる方が重要なのだ。
それが最も効率が良く、結果的に最も力が入り、そして、疲労が少ないく、後半バテる事も押さえられるのだ。 良い事尽くめだ。
次項では、ここまでで理解した重心移動ベクトル化運動理論から見て「パウエル選手の実際の走法はどうなのか?」を見ていく。
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