ひと掻き ひと蹴り (8)

〜 方向転換 〜

2010.07.10

  

 

■ 方向転換

ひと掻きひと蹴りがヘタクソな時には、イメージが固まっていないだけに、非常に大雑把で雑な動きしかしていない。

 

しかし、ひと掻きひと蹴りがうまくなってくると、『方向転換』ひとつとっても、

『微妙な手足の使い方』
『惰性(慣性)の利用』

といった部分が、非常に精密に仕組まれている事に気付く。

 

 

 

『1』から『2』へは、『ドルフィンの打ち込み』と『プル動作』を一気に行い、短い時間に、体の方向が大きく変わる。

動作で発生する抵抗が大きい時に、膝の屈曲角度を利用して方向転換も同時に大きくしてしまう事で、体に抵抗を受ける時間を最小限にする戦略だ。

 

この時、ヘタクソはおそらく、腰やお尻を支点にして方向転換しようとしているはずだが、

『方向転換』をしながらの『膝の打ち込み』の感覚は、膝を支点にして、ふくらはぎを下に落すと、膝から上の棒が起き上がるイメージだ。

 

 

 

ただし、ここで、方向転換を完了させない。方向転換の最終段階は、次のステップへ残しておく。

 

 

■ 惰性の利用

『2』から『3』への時間は、じっと同じ姿勢のまま1秒〜1.5秒程度の長い時間があり、この時に、膝を打ち込んだ時の惰性で、徐々に足先が下がって、自然に水平姿勢へ移行し、方向転換を完了させる。

 

『ドルフィンの打ち込み』と『プル動作』によって加速している最中なので、

『徐々に惰性で』

というのが重要になる。

(スピードが大きく出ている最中に行う動作は、その分大きな抵抗を生むからだ。)

 

 

この『惰性の利用』に気付く事は、単に、ひと掻きひと蹴りのテクニックに留まらず、選手として非常に重要な事だ。

 

うまくなった後の感覚を知ってしまうと、

『手足の動作だけで、進んだり、方向を変えるという雑な概念(視点)しかなかったから、ヘタクソだったんだ。なんで今まで、あんな雑な動作を放置し続けてきたのだろう』

と、自分でも信じられないほど、いい加減な自分のやり口を思い知らされる。

 

私も過去に何度も、

『もう、これ以上、技術的に追求できる所はない。少なくとも、自分は、これ以上のテクニックを身に付けるだけの鋭い感覚を持っていない。一流選手のような鋭い感覚がないのだから、二流の泳ぎしかできないんだ』

と考えてきた(言い訳をしてきた)。

 

しかし、長い時間が経つと、持って生まれた自分の感覚が鋭くなったわけでもなく、成長期のように体が大きくなったわけでもないのに、新しいテクニック感覚を知り、結局、自分も出来るようになってしまう。

 

そこにあるのは、『生まれ持った素質(感覚)の差』ではなく、

『自分なりに出来る方法(要素)があるのではないか?と考えようになった視点の差』であって、

その視点の差が、模索する方向の差に繋がり、

それが、技術面を含めたトレーニング方法の違いとなって、

その長年の方向性の違いが、結果的に、速さの差となって現れてくる。

 

自分の幼稚な言い訳(視点)を改め直す視点がなければ、いつまでも二流の思考から抜け出せず、二流選手のままで終わってしまう。

 

一流選手と二流選手の本質部分の差は、素質ではなく、思考方法の差(物事の捉え方の差)にある事を、知識としてではなく体で知るのは、ひと掻きひと蹴りが速くなる事以上に重要な事だ。