自由形 (2)

〜 S字からI字へ 転換の歴史 〜

 

2011.07.20

  

 

■ 2000年頃、人々は気付き始めた

『S字ストロークの絶対常識』を疑う最初のきっかけになったのが、2000年前後に中距離自由形で活躍したイアン・ソープ選手だ。

 

 

『世界を圧倒的に引き離すイアン・ソープ選手のストロークが、まっすぐ引っ張るだけ』

であった事から、人々は、『S字ストローク絶対論』に疑問を持ち始めるようになっていった。

 

 

実際、2000年前後頃には、

『なぜ、イアン・ソープ選手はS字ストロークじゃないのに、他の選手よりも圧倒的に速いのか?』

について議論されていた。

(この時期、オーストラリアの自由形全体が強くなり、不動の最強国アメリカを逆転した事で、オーストラリアの自由形が注目された)

 

『ストレートストローク(I字ストローク)は、なぜ速い?』

ではなく、

『S字に掻いてないのに、なぜ速い?』

という『切り口』だった事からも分かるように、

2000年当時はまだ、中心1軸S字ストロークが絶対的な地位にあったし、

そもそも、2000年頃には、『ストレートストローク(I字ストローク)』や『ストレートアーム』といった言葉自体が存在していなかった。

 

 

■ 2004年頃、ナンバ走りの影響が波及

2004年アテネ五輪頃になると、オリンピックレベルのトップ選手の間で、S字ストロークを使う選手が急速に少なくなった。

 

『新しい技術を生み出すのは、超一流の思考が必要』だが、

『一度、目にした技術をマネしたり、改良するのは一流レベルの人間なら簡単に出来る』ので、

『こういう泳ぎ方で速く泳げる』という映像を目にした選手達が、理屈は分からないまま、ぞくぞくとマネ出来るようになってきた事が原因の1つであるはずだ。

 

 

もうひとつの原因は、私の個人的な分析なのだが、

『陸上競技のナンバ走りが、水泳界にも波及してきた影響』

と思われる。

 

2000年にバスケットボール競技で脚光を浴び始めた『ナンバ走り』の詳細は、ウィキペディアのリンクや、グーグル検索を参考にしてもらいたいが、

日本のスポーツ界が、それまでの『中心軸から左右クロスさせて動く西洋的な動作』から、

江戸時代までの日本で一般的動作だった『溜めない、捻らない、中心軸を作らない東洋的な動き』に、

世界に先駆けて、急速に変わっていった。

 

陸上競技の末続選手などが取り入れて世界と戦えるレベルになった事で2003年頃から有名になりだした『ナンバ走り』が、

水泳界でも、『二軸泳法』といった言葉として、少しだけ聞かれ始めるようになたのも、この頃だ。

(当時の私の経験からして、2003〜2004年頃の国体レベル現役選手では、まだ、まったく知られていない)

 

 

つまり、これは、S字ストローク、I字ストロークといったクロールの単なるストローク技術だけの問題ではない事を意味していて、

この時期の日本スポーツ界に、『運動の根底動作』に大きな変革が起きた事を示している。

 

その証拠に、自由形とは別種目である平泳ぎの北島康介選手も、2000年シドニー五輪の後から急成長を始めて、2002年には世界記録を樹立し、2004年アテネ五輪では2種目制覇したし、

4種目ともに、メダルを取る日本選手が続出するようになって、今や銀や銅メダルくらいでは誰も驚かなくなったほど、日本の競泳は全体的に強くなった。

 

日本スポーツ界のテクニックは、2000年〜2004年の4年間に大きく動いた。

 

 

ただ、逆に見ると、柔道やバレーボール競技といった、近年になって急速に弱体化していった競技は、この変革に乗り遅れ、古い伝統的テクニックからの脱却に失敗したものと考えられる。

 

つまり、『世界に先駆け、そしてリードする事を目指した』のではなく、

1980年代の日本競泳界がそうであったように、『世界の背中を追いかけた結果の弱体化』であるはずだ。

 

この考察は推測とはいえ、弱体化したこれらの競技が『伝統的に長らく強かった競技』である事からも、それなりに的を得た分析であると言えよう。

 

 

■ 2004年アテネ五輪 〜 2008年北京五輪

2004年アテネ五輪における日本競泳界の大活躍以降、新しいテクニックが徐々に一般選手にまで波及して行った。

 

例えば、『伏し浮き』のテクニックの重要性ひとつ取っても、2008年以前には、

『揚力なしで浮くわけないじゃん! 泳ぐ時は、スカーリングで揚力を発生させて浮くんだよ。 これは飛行機が飛ぶ時の原理と同じ! そんなの常識じゃん!』

と、古い常識が廃れてしまった事を知らずに馬鹿にしてしまい、努力をしようとしない人は多かったが、最近ではマスターズ選手ですら常識テクニックと考える人が多くなったし、

 

『練習前のストレッチで、肩甲骨をヘコヘコ動かす訓練』

といったような、2004年以前には一般的でなかった練習風景を、普通のスイミングや試合会場でもよく見かけるようになって、

聞くところにによると、海外遠征時の日本代表チームのストレッチ風景を、海外選手達がメモを取っているほどだという。

 

世界に遅れを取り、追いかけるだけだった日本が、

東洋人向きの動きとして解釈し、理論化した事で、世界と戦えるレベルに押し上げられ、

ついには、世界をリードする存在になっているわけだ。

 

『スポーツの世界で日本が世界に通用する時代は、もう二度と来ない』

と信じきっていた1980年代の弱小競泳界では、まったく想像も出来なかった事で、

日本競泳界を世界レベルに押し上げてくれた若者達には、感謝したい。