自由形 (3)

〜 歴史の根底に目を向けろ 〜

 

2011.07.20

  

 

歴史の表面を眺める事は苦痛だ。

 

710年 平城京。 794年 平安京。

こういった『出来事の表面』を聞かされるのは、苦痛で、バカバカしい。

 

ところが、『歴史の根底』に目を向けると、歴史には、『プロセス』と、『そのプロセスがもたらした結果』の両方の情報が詰まっている事に気付く。

自分の人生で得ようとすれば、長い間、何度も傷付き、苦しい思いを繰り返さなければ得られない貴重な情報を、歴史はタダで提供してくれる。

 

すなわち、歴史の根底にある情報を読み取れば、『未来を見通す神の目』を鍛える事ができる。

(『その選択や行為が、どのような結果を引き寄せるか』といった神様のような視点)

温故知新

 

 

■ 歴史の視点から見える現実の世界

『歴史の根底にある本質から、選手のレベルを捉える』と、

『目で見る事ができるタイムという、表面的な分類』とは違った3段階の選手レベルを読み取る事が出来る。

 

 

【1】 超一流レベル
新しいテクニックを生み出す思考を持った選手。

 

もちろん、『実際に、その才能を世に知らしめる結果』に結び付けるためには、

超一流の思考を自分の体で表現できるだけの『持って生まれた一流の感覚』が不可欠だ。

 

ただし、『感覚の限界値』は、持って生まれた先天性の才能を超えられないという残念な現実は確かにあるが、

『超一流の思考』は、後天的な努力でしか身に付かない上に、

『持って生まれた先天性の才能を、後天的に手に入れた思考が、限界にまで磨いてくれる』のだから、

『才能は、思考で磨かれて輝く』という現実を見落としてはいけない。

 

なぜなら、『持って生まれた才能を、限界まで磨ききれている人は、極わずか』で、

『努力して技を磨く』という行動も、

『脳みそから生み出されたモチベーションが原動力となっている』ため、

『努力して技を磨くという行動』を、『モチベーションという視点』から見ると、

秀でた才能は、心に安心を生み出し、安心は努力しようとする意欲の邪魔をしてしまって、技を磨く作業の大きなデメリットにもなる』

からだ。

 

『貴重なダイヤも、岩から取り出して磨かなければ、ただの石ころ』というわけだ。

 

 

 

【2】 一流レベル
『超一流選手がやってみせた泳ぎ』見て、すぐに理解し、マネできる選手。

 

このレベルの選手たちは、

超一流の選手と同等の『生まれ持った感覚の才能』を持っていて、

マネしたテクニックに改良を加える事も出来るし、

努力もまた、超一流選手と同等にしているから、

記録の伸びが停滞している種目だと、トップに立つ事もできるが、

思考がまだ、一流の枠を超えていないから、

『スピードは、磨かれたテクニックから生み出されている』事には気付いているのに、

『テクニックの成長が、自分の思考レベルに比例している』事には、まだ気付けてなくて、

『それまでの型を破るような結果』は残せず、みなの記憶に残らない。

 

 

 

【3】 それ以下の選手
『超一流がやってみせた動きを、誰かが理論として一般化したもの』を見聞きして、指導してもらわないとマネができないし、改良する事もできない選手。

 

多くの選手は、このレベルのままで、自分の才能に限界を感じて引退する。

 

『才能の同じところばかりを必死に磨いていたから限界を感じただけで、視点を変えて捉え直せば、自分の才能には、まだまだ磨き残しがある事に気付く。その視点は、思考から生み出されている』

という事に気付いていないだけでなく、

『自分には才能がなかった』と言い訳し、『原因を自分の外側に投げる事で逃げている自分』を直視していないため、

引退後、ずっとモヤモヤとした気持ちを抱え続ける事になり、

いずれ、年を取ってから、清算しようと動き出す事になる。

(もちろん、これはこれで良い人生であり、結果を残せなかった人生を活かすチャンスは、いつでもある。逃げる事も、重要な戦略の1つ

 

 

■ 20年先取りすれば凡人も一流選手

前章で、『イアン・ソープ選手の登場が、S字ストロークを廃れさせ、I字ストロークを一般化させるきっかけになった』と説明したが、

『S字ストロークを使わないで圧倒的な世界記録を出して見せた最初の選手』は、イアン・ソープ選手ではない

 

それよりも10年も早い1988年、S字ストローク神話全盛期に泳いで見せたのが、中長距離自由形のジャネット・エバンス選手だ。

彼女の世界記録は19年間、高速水着が登場した2008年まで破られなかった事から分かるように、1988年当時、彼女の記録は異常に速かった。

 

 

2011年の今現在に見れば、今の選手と同じで普通の泳ぎ方であり、

『単にストレートストローク(I字ストローク)で掻いて、リカバリーがストレートアーム』

というだけの事だが、

(ま、確かに、上下動が大きく、イアン・ソープ選手のようなきれいな泳ぎとは言えないけど)

 

1988年当時、彼女の泳ぎの評価は、

『S字を掻かないし、リカバリーは肘が伸びていて、手をグルグル回す汚い泳ぎ』
『真似しちゃいけない泳ぎ』
『身長163cmの小さな選手が、S字ストロークを使わずに速いなんて、単に持久力がすごいだけじゃない?』

と、フォームに関しては、さんざんな言われようだったし、私自身、当時はそう思っていた。

 

彼女が泳いで見せた次世代の泳ぎを、

一流選手が10年かかって理解し、一般選手が20年かかって理解したわけだが、

もし、当時、S字ストローク神話を捨てて、彼女の泳ぎをパクろうとした凡人選手がいたら、その凡人選手は世界で通用する選手に成長した可能性が高い。

 

凡人が新しい技術を生み出す事は出来なくても、マネをする事くらいは比較的簡単で、

『20年も先取りしたI字ストローク』なら、『才能ある選手のS字ストローク』と十分対抗できたはずだ。

 

 

『嘘くせ! 屁理屈くせ!』

と、凡人みたいな事を言う前に、

『20年前の日本記録では、今や日本選手権にすら出れない。インターハイ出場も危うい』

という現実の根底を捉えたほうが良い。

 

例えば、1988年ソウル五輪200M平の予選で高橋繁浩さんが記録した 2.17.69 が当時の日本記録だが、

2011年の日本選手権標準タイムが、2.15.99

2011年のインカレ標準タイムが、2.17.79

2011年のインターハイ標準タイムが、2.19.68

 

この20年間に日本人の体が大きくなったわけでもなく、

(むしろ、小学生は以前より短足になっている)

少子化で潰れるスイミングが増えてしまうほど、選手人口が減っているにも関わらず、

 

『日本のトップが世界に並んだだけでなく、底辺側の底上げまでもが起きた』

『2011年の現代で日本選手権にギリギリ出場できる凡人選手のタイムでも、20年前なら世界の一流に仲間入りするレベル』

 

という現実の説明を、自分の頭で考え直すと良い。