スプーン泳法 (9) 〜 丹田推進姿勢のイメージ 〜 高橋 大和 |
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■ 後ろに押し伸びる姿勢 『前に、前に!出来るだけ前に伸びて、できるだけ前の水をキャッチする』
という旧泳法時代の指導の影響が、今でもまだ残っているせいで、 『後ろに押し伸びる』 といったような私の動作感覚を聞くと、
『前に泳ぐのに、なんで後ろに伸びるんだよ!前に進むんだから、前に伸びるのが当たり前じゃないか!後ろに伸びてどうするんだよ?』 と、過去に選手経験のある人ほど強く思う事だろう。
分かってしまえば当たり前の事でも、当たり前の事を当たり前だと認識するのは意外に難しい。
■ 思考実験 『ギリギリ手が届くか、届かないかといった、高い所に置いてある荷物を取る時』 を思い出して欲しい。
『目標物である荷物を目で見ながら取ろうとすると、指先が微妙に荷物に触れるだけで取れない』 といったような状況だ。
はたして、どちらが、より伸びる事が出来ているでしょうか?
高い所にある荷物を取る
『表面に現れてきた結果(目で見る事が出来る結果)』に視点を奪われ、 『手のひら一枚ごときの、微々たる差』 に納得していてはいけない。
目から見えるそんな微々たる差は、『タッチの差』でしかなく、 新旧姿勢のこの差は、『タッチで争う以前の問題』で、 泳ぎ自体(力の伝わり方)で大きな差となって現れてくる事を、体感として感じ取る事が大切だ。
『結果に捉われる』から、世の中が逆さまに見える。
この荷物実験は、『状況』と『その結果』だけでなく、 『動作感覚』までもが、『実際に泳いでいる時の姿勢』に、 非常に、限りなく、近い。
体内でかかる力
【思考の視点 1】 【思考の視点 2】
に意識を向けて集中し、イメージを膨らませて、 『自分の体内における筋肉の使い方の違い』 を十分に感じて、納得するまで実験を繰り返して欲しい。
■ 荷物を見る方式(旧型姿勢) 旧式 モーターボート姿勢
【1】 腰が動作支点(骨盤が水平ではない) といった点で、旧型のモーターボート泳法姿勢に限りなく近い。
荷物を見て背伸びをすると、腰に支点が出来て、体がエビ反ってしまう。 手が微妙に届かない上に、お腹を突き出すように体が反ってしまうために、上半身を腹筋で支えられず胴周りを絞められない。
力が弓なりに手先まで伸びるので(ピンクの矢印)、手先に力は入れやすいが、 仮に荷物を手で持つ事が出来たとしても、腰の一点で支える事になり、腰痛持ちなら体がフラフラしてしまう(泳ぎなら、腰が沈む)。
『新型姿勢の方で荷物が取れたって、手にあまり力が入らないから、荷物を落しちゃうじゃないか! 旧型姿勢の方が重い荷物でも下ろせる。 つまり、腕に力が入るんだから、強いプルが掻けていいじゃないか!』 という思考は、安易だ。
1ストロークごとに、全力で手を掻く泳ぎ方は、旧式モーターボート泳法で、 『フィニッシュ!フィニッシュを全力で強く押し出せ!』 とやっていた、エネルギーを無駄に捨てていた時代の『燃費の悪い泳ぎ方』だ。
相撲や重量挙げで、膝をガバっと開く方が重いものを持ち上げられるからといっても、平泳ぎのキックでは膝を開かないのと同じだ。
『競馬』と『農耕馬』の違いと同じで、『タイムや飛距離を競う競技』は、『重いものを持ち上げる競技』とは違う筋肉の使い方をする。
平泳ぎのキックは、 『垂直ジャンプのような、ほど良い力』 あるいは、 『バレーボールの選手が、適度な膝の開きと軽い屈伸動作からスパイクを打つ時と同じ力』 つまり、『跳躍力』の適度な力加減を使う必要があるのであって、 『重いものを持ち上げられるかどうか』は、問題ではない。
競泳では、『跳躍力的な力』さえ出せれば、それで良いのだ。
そんな事よりも何よりも、そもそも、 『細い腕の筋肉が出せる全力』 に視点を奪われている事自体、戦略を誤っている。
『腕と、お腹の筋肉は、どっちが太いのか』 という視点から、戦略を練り直した方がよい。
『ゾウ』と、『チーター』の走りの違いを、じっくり考え直してみるとよい。
■ 荷物を見ない方式(新型姿勢) 新式 スプーンイメージ姿勢
目標物の荷物を目で追わずに、指先の感覚で荷物を探し当てれば、荷物を掴む事が出来る。
この姿勢は、 【1】 ミゾオチが動作支点(胴周りの筋肉を使える余裕がある) といった点で、スプーン泳法姿勢(新型泳法姿勢)に、限りなく近い。
『より前方に腕が出せる』だけでなく、 『力が、頭の天辺にまっすぐ抜けていく』ため、 『動作にまっすぐな芯が通る』うえに、 肩甲骨を寄せずに済んで(肩甲骨を開けるので)、 腕の動き(肩甲骨の動き、ストローク)に余裕が出来る。
この動作、実際にやってみた? ほら、『骨盤を押し下げてる感覚』があるでしょ?
『体(ミゾオチから下)が地面側に押し伸びている感覚』があって、 その時、『骨盤が水平』でしょ。 それよ、それ。
丹田(下腹部)から出力された大きな力が、 この『水平の骨盤』から押し出され、 体内の中心をまっすぐに伝わり、 手足の動作によって、丹田の力が水に伝えられる事で、 スピードが出る。
この姿勢は、『正しい歩き方の姿勢』と同じ。 ハワイアンダンスや、マイケル・ジャクソンのポーーーですらも、同じよ (^.^)
(腰が動いてるんじゃなく、ミゾオチから動かしている事に気付くでしょ)
『普段の歩く時ですら、泳ぎの練習になる』 事にまで、発想を飛躍できた??
『練習は、練習時間にするもの』 という思考は、平平凡凡の凡人の発想。
『練習をがんばる』 なんて所で差を付けられるのは、『二流の勝負』までで、その上の舞台で勝負するには、凡人思考のままでは、もう登れない。
凡才でも、練習を『普通の日常生活』として乗せてしまえば、秀でるチャンスは十分にある。
『インターハイにすらも出場できず、大学に2浪して自力で入った、平凡過ぎるほどに凡才な選手が、25歳にして1996年アトランタ五輪に個人メドレーの日本代表として出場した吉見譲』が、 日常生活で世間話をしている時でも、普通に、体のあちこちを伸ばして動きながら話すのを見た時、 『練習前にストレッチの時間を作って、ストレッチをしていた自分。しかも、それすらもいい加減に考えて、手を抜いていた自分』 との 『取り組み姿勢の違い(やり方を見い出す発想の仕方の違い)』 に気付き、この 『取り組み方を発想する時の違い』 が、泳ぎ方やテクニック、トレーニングのやり方にまで及んでいて、 その差が10年にも及んだ時の膨大な差を痛烈に感じた。
自分が二流選手で終わったのは、 『生まれ持った才能が平凡だったせい』 ではなく、 『凡人な思考しかしないせい』 で、 『平凡な思考から発想した平凡な戦略のせいで、平凡な結果しか出せなかった』 事に、私はこの時、初めて気付いて、
自分にはインターハイに出るだけの才能があったにも関わらず、 『生まれ持った素質が平凡だったから・・・だから、オリンピック選手にはなれなかった』 と、心の奥で、自分に対して言い訳をしたまま30歳にもなっていた自分の幼稚な思考を恥じた。
生まれ持った気質や素質は変えられなくても、思考は、何歳からでも変えられる。 若かろうが、年を取ろうが、思考なら、思い立ったその時から変わり始める。
そこが変わらなければ、結果もずっと、変わらない。
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