学校水泳 (3)

〜 背面浮き 2 〜

高橋大和
2009.08.20

  

 

「泳げる子」と「泳げない子(息継ぎの出来ない子)」の決定的な差は、姿勢にある。

 

それを図示したのが下図だ。

 

図 3-1

 

泳げる子は、水中でも、歩く時と同様に体をまっすぐ伸ばす事が出来る。

水中では平面方向に面積が大きいほど水からの浮力を得られるので、浮きやすくなる

 

泳げない子は、体を丸めて平面方向の面積が小さいので、水から得られる浮力が小さくなって、重さの集中するお尻から沈んでいく

 

これは、空中で紙を落す時、水平に落せばゆっくり落下するが、垂直、あるいは紙を折りたたんで落せばあっという間に落下するのと同じだ。

体を丸めた姿勢では、競泳選手であっても浮く事は出来ない。

(手を動かして、スカーリングをすれば浮けるが、じっとして浮く事は出来ず、やはりお尻から沈む)

 

図 3-1の図を上下反転し、姿勢はそのままにして、頭が水面に来るように位置を調整したのが、下図 3-2だ。

 

図 3-2

 

この図に手の動きをつければ、どちらが泳ぎの達者な人のクロールかよく分かるだろう。

泳げない子の泳ぎが、右側の丸まった図とそっくりである事がわかるはずだ。

 

図 3-1と3-2を見れば、背面浮きの姿勢が、そのまま4泳法の泳ぎの基本姿勢である事が良く理解できるであろう。

 

さらに、背面浮きの良い点は、呼吸の問題を解決してくれる事だけではない

伏し浮きのテクニックで詳しく述べているが

「肺がお尻ではなく、胸に付いているため、肺のある上半身は浮きやすいが、筋肉しかない下半身は沈みやすい」

 

図 3-3

 

という問題についても背面浮きは解決してくれる。

 

「水中を見ながら水面に浮いた時」と「上を向いて水面に浮いた時」の沈み方を下図 3-4に示した。

 

 

図 3-4

 

水中を見て浮いた時と、上を向いて浮いた時では、沈み方に大きな違いがある。

 

人間は、前屈は良く曲がるのだが、後背側には体があまり曲がらない。

 

したがって、水中を見て浮いた状態で沈む場合、体がいくらでも曲がってしまうため、浮き輪の役目をしている肺(胸)が、下半身の重みによって、水中へと引きずり込まれていく。

ところが、上を向いて浮いた場合、背中を反るのは体の構造上無理があるので、ある程度反った所で、それ以上は背中を反れなくなるため、テコの原理によって下半身の重みが、浮き輪の役目をしている肺(胸)を押し上げる方向に力がかかって、浮きやすくなる

 

もちろん、クロールの姿勢だって、まっすぐには出来る。

競泳選手は無意識でまっすぐの姿勢を作って速く泳いでいる。

 

しかし、今、話題にしているのは、「泳げない子」だ。しかも、運動音痴でブキッチョな子供の指導方法について考えている。

泳げない子は、水中で手足をどう使えばよいか、まったく分からないのだ。

 

そのブキッチョな子供が水に浮いた時、背面浮きなら、膝は大きく曲がる事はあっても、膝から肩までは無意識に(構造的に)、ある程度まっすぐな状態を結果的に維持できるのだ。

これが、クロールだと、息継ぎの心配がある上に、構造的にいくらでも体が丸まってしまう。

 

胸を張るから、浮けるし、クロールだって速く泳げるのだ。

胸を丸めるから、浮けないし、速く泳げないのだ。

 

モデルが胸を張って歩く事が必須であるように、泳ぐ時に胸を張るのは必須なのだ。

 

その点、背面浮きは下半身の重みが、テコの原理によって胸(背中)にかかり、背中を反る方向に事が動くので、結果的に胸を張る動作につながりやすい。

 

以上の説明で、背面浮きには、「呼吸」と「構造的な浮きやすさ」という二重のメリットがある事がよく理解できたと思う。

 

ただし、ひとつだけ背面浮きにマイナスな部分がある。

それは、人間の「恐怖心」だ。

 

「水中で上を向くのは、なんとなく怖い」

 

人間は怖いと、反射的に体を丸めて身を守ろうとする。

だから、図3-1右のように、泳げない子は、背面浮きの時でも体を丸める。

 

体を丸めると背面浮きは、逆向きに浮いた時(だるま浮き)よりも、あっという間に沈んでしまう。

(逆に言えば、クロールは息継ぎさえしなければ、どんな変な姿勢でも泳げて答えが複数あるが、背泳ぎは、答えが1つ(泳げる、イコール、正しい姿勢)しかないのは、泳げない子にとってメリットだ。背泳ぎでの答えは、他の3泳法の基本姿勢でもあるからだ)

 

しかも、泳げない子は、「鼻から息を出す」という事が出来ないので、顔を上にして水中に潜ると、すぐに鼻の中に水が入ってきてしまうため、頭を水上に大きく上げようとしてしまう。

頭が水上に高く上がると、水上に出た部分は水からの浮力が得られなくなる代わりに、大きな重力がかかって重くなり、体はさらに沈む。

 

一方、水中を見ながら顔をつければ、鼻から息を出さなくても水は入ってこない。

なぜなら、鼻の中の空気が上に向かって上がろうとして鼻の中に居座るので、鼻の中の空気が鼻栓の代わりになってくれているからだ。

 

泳げない子が背面浮きや背泳ぎをしていて、水中に顔が沈むとすぐに鼻に水が入ってきてしまうのは、そのせいだ。

これが、水泳素人に「背泳ぎは難しい」と感じさせてしまう部分だ。

 

この解決策は2つある。

ひとつは、鼻から息を出す訓練をして、水中で上を向いても鼻に水が入ってこないテクニックを身に付けさせる事だ。

 

もうひとつは、体を丸めてしまう大元になっている「恐怖心」を取り除いてあげる事だ。

 

怖がって体を丸めるから、沈んでしまう。

勇気を出して体を伸ばせば、浮力が増え、水の抵抗が増えるので、体はゆっくりとしか沈まない。

 

目で見る事が出来る「表面的な結果」では、体の屈曲度合いで、「浮ける/浮けない」が決まっているが、泳げない子の本質部分には「恐怖心があるか/ないか」の心理的な面の差が「浮ける/浮けない」を決めている。

つまり、「勇気が出せるか/出せないか」が、「泳げるか/泳げないか」を決めているといっても過言ではないわけだ。

 

一人で背面浮きが出来ないとしても背中に補助を入れて、沈む背中を支えてあげれば、当然体は沈まない。

背中を手で支えて、沈まないようにした状態で、体をまっすぐ伸ばすように訓練していけば、泳げない子、鼻に水が入る子でも背面浮きは出来る。

 

体さえまっすぐにすれば、体はゆっくりとしか沈まない。

補助している手の力を徐々に緩めていけば、泳げない子供も、

「体を伸ばせば、思ったほどには沈まないんだ」

体感する。

 

体感すれば、良い方(体を伸ばす方式)を採用しようとするのが人間だ。

 

この訓練には、子供と指導者側の信頼関係が必要だ。

逆にいえば、この訓練で子供との信頼関係を築けるともいえる。

 

「たかが水泳。たかが体育」

とはいっても体育が重要なのは、人間として重要である「信頼関係を築く」チャンスがあるという部分だ。

 

人間は、脳みそ(理性)だけで感情をやり取りしても、そこには建前の表面的なものしか感じない。

ところが、体を動かし、体と体で感情をやり取りする事は、動物本来の姿であり、そこには、理性では気付かない、心と心の接触が起きて、信頼関係が自然と築かれる。

 

「怖い」から体を丸めているのに、指導者を信用して体を伸ばすわけだから、そこに信頼関係が生まれない方がおかしいのだ。

信頼するから、「呼吸の出来なくなる恐怖」を振り払って、子供が指導者に身を任せるのだ。

 

この「理性で理解する信頼」ではない「心で感じる信頼」が、学校生活全般に生かされないはずがない。

動物は、理性の前に、感じるのだ。

 

たかが「背面浮きの訓練」ではあるが、そこには人間として重要な「心の信頼関係」を作る作業が行われる。

体が、心も育てて大人に育っていくから、「体育」なのだ。健全な心は、健全な体に宿るものなのだ。

 

次項では、背面浮きの補助の入れ方について述べる。