泳道楽 (7) 〜 プラス思考の考察 〜 高橋大和 |
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■ 思考回路の分析 トップ選手に変人は多い。
トップ選手であるがために、その競技人生を語る機会が与えられて、自分の思考方法を世間に向かって話すから 「XX選手は、究極のプラス思考だ」 と、良い方に評価されるが、凡人が同じ思考をして行動すると、その思考理由までは聞かれなかったり、後光効果がなかったりするがために、 「妙な所で食い下がるわりに、妙な所ではさっさと諦める。協調性がない。人と違う考え方をする変わり者」 などと、悪い方に評価される。
他人は、『表面から見える結果』だけを見て安易な評価を下すが、結果から下された自分への評価が『究極のプラス思考者』であっても、反対に『変わり者』であっても、それは自分の人生(競技人生)には関係ない。 『自分のやるべき事』『自分がやらなければならない事』には、他人からの評価は関係ない。
他人からの評価ではなく、 『思考の根底部分にある回路が、どうであるのか?』 が重要なのだ。
『素質の良し悪しを決めるのは、結果ではなくて、自分自身』 である事に気付けば、 『ネガティブな素質をプラスに転化して利用する事の重要性』 も当然、知る事になる。
良い事を知って、それを利用しようとしない人は、通常いないので、 『ネガティブな素質こそ利用しよう』 という発想が自分の思考の根底に置かれるのは、極々、当たり前の事である。
つまり、『究極のプラス思考者』と呼ばれるような人は、何か特別な小難しい考え方を持っているのではなく、単に、 『根底で動いている"たったひとつの思考回路"が、プラス思考回路であり、そこで物事を処理している』 というだけの事である。
人間の根底にある思考回路(良い事であれ、悪い事であれ、「物事をどう捉えるか?」の回路)のタイプは、
● プラス思考回路 ● 普通回路 ● マイナス思考回路
の、おおよそ3タイプしかなく、 『どのタイプの回路を採用して思考しているか?』 が、人によって違うだけだ。
具体的に言えば、競技生活で怪我をして、うれしい奴なんていない。 感情は、理性と違って理屈から出てくるのではなく、『勝手に湧き出てくる感覚』なので、ネガティブな事にはネガティブな感情が、誰しも湧いてくる。
この時、『普通回路』を採用している選手は、その『がっかりする感情』に従い、怪我をした事を不幸な事、アンラッキーな事だと処理する。 『怪我なんてしなければ、きっともっと良い結果が出せた』 と処理する。
『怪我で通常の練習が出来ないから、この時期を利用して、体の柔軟性を手に入れるようにしよう』 とか 『このタイミングで怪我したのは、競技に取り組む姿勢を見つめ直す時期に来ているのかも』 といったような、『プラス思考回路』を採用している選手が考える 『怪我の時期を、今後の競技生活に、どう利用しようか?』 といった思考は、感情に邪魔をされて(感情に囚われて)、登場しない。
怪我だけでなく、生まれながらにして背が小さいとか、精神面が弱いなどでも、 「XXさえなければ、自分はもっと良い結果が出せた(出せる選手になれた)」 と考え、自分のネガティブな要素を排除しようとするのが、『普通回路』を採用している選手だ。
思考回路に感情までをも持ち込んだ挙句、 『感情に従ったままだけの結果』 を出して来るのは、『勝負を競う選手』としては幼稚な思考方法だ。 その幼稚な思考の先に、勝利はない。
しかし、『プラス思考回路』を採用している選手は、感情が思考回路に入力されない。 『思考回路に入力すべき情報は、分析に必要な情報』 である事を合理的に捉えて、入力すべき情報を精査する。
勝利に向かってチャレンジする時に必要な事は、 『どのように勝利へアプローチしていくか?』 という、『これから自分が採るべき戦術(作戦)』だ。
『怪我をして、がっかり』は、単なる感情であり、その感情から『自分のやるべき事』が見えてくる事はない。
『多くの人が普通回路を採用している事を考慮し、他人が感情に左右された判断や行動をしてくる事を見越して戦術を練る』 のは重要だが、自分の感情を思考回路に入力してしまえば、感情に邪魔をされて分析を誤り、結果的に判断も誤るだけだ。
『怪我をした事、背が小さい事、精神的に弱い事を残念に思う気持ち』 と、 『これから自分がやれる事をやっていく。やれる事をやっていく以外の手段はない』 という事の間には、なんら関連性はない。
勝利に必要なのは、 『自分がやれる事、やるべき事を淡々と積み上げていく』 事であって、未来の勝利に向かっていく戦略に 『結果から湧き出て来た自分の感情』 は、必要ない。
そのやるべき事には、 『怪我した事(ネガティブな出来事)を、逆にどう利用して生かしていくか?』 という思考も含まれている。
『プラス思考回路』を採用している人は、 『どう利用するのか?』 という思考回路で、プラスな事であっても、マイナスな事であっても、単純に処理するだけなのだ。
『プラス思考回路』に入力される値が、プラスな出来事なのか、ネガティブな出来事なのかは関係なく、良い出来事も悪い出来事も単純に、その利用方法を考えるだけなのだ。
したがって、もし、『中途半端なプラス思考者』がいるとすれば、 『どんな思考回路を使って、どう処理すれば、そんな中途半端な思考になるのか?』 そっちの方がよっぽど不思議なのだ。
『究極のプラス思考者になるのは無理だ』 と思えても、 『根底にある"たったひとつの思考回路"をプラス思考回路に置き換える』 なら、凡人にも十分出来る事は容易に想像できることだろう。
■ プラスの積み上げ 良い事を積み上げるのは簡単だ。 そこには、『コツコツと積み上げる努力』があるだけだ。
練習をたくさんするのも(体)、テクニックを研究するのも(技)、気分的に良い時期に前向きな心を持てるのも(心)、そんな事はちょっとした努力をするだけで、誰でも出来る。 当たり前の事を、当たり前に行うのは、競技者として当たり前の事だ。
ただ、確かに、『当たり前の事を当たり前にする』事は、意外に難しい。 一般的な日常生活でも良くある事だが、当たり前の事を当たり前にやらない 『まーいいじゃないか的な周囲の雰囲気』 を振り切って、我が道を行くのは、簡単な事ではない。
しかし、競技者であるのなら、『当たり前の事を当たり前にこなす』事は、何の自慢にもならない。 競技者としてやるべき、最低限の事が満たされているだけの事だ。
競技レベルが上がれば上がるほど、当たり前の事を当たり前にこなしてきた選手たちとの勝負になるのだから。
■ マイナスの扱い 競技者として磨きがかかるのは、当たり前の事を当たり前にやって、それ以上の事をやり始めた時だ。
背が小さい事、年齢的な事、生まれ持った素質が小さい事、運がない事を、『自分が勝てない理由』に使う事をやめ、 今まで『マイナスだと考えて捨てていたもの』を自分にとって有利な事として利用し始めた時、 『心技体が一致』し、『素質、実力だけでなく、運までが最大限に引き出される』のだ。
マイナスな事をプラスに転化した時、元々マイナスで足を引っ張っていた力は、プラスの力をはるかに上回る力となる。 背が低くて負けていた人間が、『背が小さいから、人の何倍も練習をする』事に利用した時、『元々背の大きい人間』をはるかに上回る大きなチャンスを得る。
生まれ持った素質を必死に磨き上げ、実力を最大限引き出して戦かおうとする選手は、レベルが上がれば上がるほど、当たり前にいる。 その中で、秀でるためには、当たり前の事以外も動員して、勝負するしか勝つすべはない。
『当たり前の事以外』 は、一見マイナスな素質、一見ネガティブに見える素質を利用する所にある。
生まれ持って優秀な人間ほど、持つことが出来ない素質。 それは、マイナスな素質、ネガティブな素質なのだ。
何が有利な事で、何が不利な事かは、自分が決めている事を忘れてはいけない。
心が荒んでいる人間にそんな発想は持てるはずもない。 持てないから、努力もできない。 努力の積み上げが浅いから、負ける。
心が磨かれていなければ、 『マイナスな事を、自分にとって有利な事として捉えて、利用する』 ような事は出来ない。
心が磨かれた選手は、そんな努力を多く積み上げるから、結果的に有利な条件がより多くそろって、勝利する。
つまり、運も、心を磨く事で引き寄せられる。
■ がんばってる そんな言い訳は、誰でも言いたくなる。
例えば、自分は必死にがんばっているけれども、それが実は不安からやっているのであれば、それは『マイナスな事にがんばっている』のだ。 本当は単に、『引く勇気が持てないから』、やっているだけだから、 「何だ!俺はがんばってる!なのにぜんぜんダメじゃないか!」 と言いたくなっているのではないか、ちょっと逆の視点から考えてみるとよい。
プラスの戦略を積み上げ、勝てる戦術を使うから、勝利するのであって、どんなにがんばっても、ネガティブな戦術を使っていれば、勝利は転がってこなくて、当たり前だ。
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