泳道楽 (4) 〜 運の方程式 〜 高橋大和 |
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■ 運の方程式
前章で述べた『結果の三要素(運、実力、素質)』の中には、自分の力ではどうにもできない不確定要素である『運』が含まれていて、素質を最大限磨いて実力を付けて来たとしても、『勝負は時の運』という面がぬぐえない事は述べた。
『運』がピラミッドの頂点にあるために、運をコントロールする事は、素質や実力を磨く事よりも格段に高度な技術が要求されるわけだ。
一般的に、『運は動かせないもの』と思われている。 『人間は、運に流されるだけだ』と思われている。
『戦争で爆弾の中を駆け巡っても死なない人もいれば、道を歩いているだけで事故で死ぬ人もいる』 事からしても、確かに運は、神様(天)が握っている部分が非常に大きい。
神様が握っている部分は、天命であり、人間にはどうしようもない。 しかし、運を捻じ曲げる事は出来なくても、運を引き寄せる程度は人間にも出来る。
時代の流れで徴兵され、自分の意思とは関係なく戦地に運ばれ戦死した兵士も、平和な時なら志願せずに『戦地に行かない』という判断をすれば、戦死する事を避けられるのと同様に、 運も『自分ではどうしようもない部分』とは別に、『自分で運を引き寄せられる部分』がある。
それを表したのが、『運の方程式』だ。
■ コントロール可能な運 『自分でコントロール可能な部分』の『プラスの合計』『マイナスの合計』というのは、良い事と悪い事をした合計だ。
例えば、良い事をたくさんしてプラスを積み上げ、悪い事を少ししたとしてマイナスを積み上げたとしたら、その差し引きがプラスとなって、運を引き寄せる事になる。 逆に、積み上げた合計がマイナスとなれば、運が自分から逃げていく。
もう、ここまでの話でも、ウサン臭さがプンプンとして、読む気がおきないかもしれないが、これは高いレベルで勝敗を競う時に、必須のテクニックだ。
もう少し大きく括って言えば、捉えやすいかもしれない。 上記ピラミッド図を見れば分かりやすいが、『運』は、心技体の『心』とフラクタルな関係にある。 つまり、『運を引き寄せる事は、心を磨く事とほぼ同じ』なのだ。
『心が磨かれた選手には、運も味方する』 と言えば、「聞く耳を持ってもいいかな」程度の気分には、なんとなくなれるはずだ。
あるいは、 『非常に高いレベルでの勝者で、人間的に腐っている選手は非常に稀だ』 という、逆の視点から結果を捉えれば、もっと納得しやすいだろう。
遊技スポーツレベルの勝者には、嫌な奴もたくさんいるが、競技レベルが上がれば上がるほど、そういう嫌なタイプの人間は少なくなってくる事は、誰しも経験的に納得できる事だろう。
■ 実例 実は、運の話は、私がゼロからひねり出した話ではない。
『運の方程式』は、理屈をこねるのが得意な私が考え出した事だが、 『勝敗の最後の最後部分には、運に決定権があり、運を引き寄せる努力を一番していた人間が勝利を手にする』 という話を私が初めて聞いたのは、高校生の時だ。
高校の水泳部のおかげで、1972年ミューヘン五輪男子100M平泳ぎ金メダリストの田口信教さんに会って話を聞く機会があり、その時初めて聞いた話だ。
「私は、オリンピックで金メダルを取るために、一日一善を行った。一日一善では心配だから、一日十善くらいした。 それでも心配だから、良い事をする機会を自分で探した。ゴミが落ちていれば拾うし、おばあさんが荷物を持っていれば、知らない人であっても持ってあげた。 自分に運が味方して金メダルを奪取できるように、良い事をたくさんした」
といった内容の話を聞かされた。
当初、私は高校生だったため、 『オリンピックで金メダルを取るような人は、やっぱり桁外れに変わっていて、桁外れに常識を外れる事が出来るから金メダルなんて取れるんだ。俺にはちょっと無理な気がする』 程度の解釈しか出来ず、その極意はまったく理解できなかった。
もちろん、田口さんは運だけで金メダルを取ったわけではない。 泳法テクニックとしては、田口キックの開発もしているし、スタートは世界一速かった。
体の小さかった田口さんは、常人には異常とも思える筋トレから始まり、泳ぎのテクニックの開発から、精神鍛錬まで、ありとあらゆる努力を積み上げ、さらにオリンピックでは、たくさんの秘策を準備して勝負し、勝っている。 常人には思いつきもしない戦術を編み出し、勝てる戦術をすべて使い切って、勝利している。
『勝つべきして勝てる状態』を作り上げて勝負に挑み、結果として勝利している。
ちなみに、世界一速いスタートをする方法には、ちゃんと戦略があった。
「君達は、ルールブックを読んだ事があるか?競泳をやっていて、ルールも知らずにやって勝とうなんて甘い。 世界一速いスタートをする方法は、ルールブックに書いてある。 『スターターは、全員構えた事を確認してから、ピストルを鳴らす』とルールブックに書いてある。つまり、自分が一番最後に構えれば、スターターは自分に合わせてピストルを鳴らす。 自分は、ゆっくり一番最後に構えた後に、スタート音を聞かずに飛んでるんだから、速いに決まってる。他の連中は、スタート音を聞いてから反応してるんだから、聞かずに飛んでる自分が一番速いに決まってる」
といった内容の話だった。 ※※ 備考 ※※
そんな努力を重ねた事で、世界記録を出すトップレベルにまで実力を高める事が出来た方が、 『最後の最後は、運だ。運を引き寄せた奴が、勝つ』 と言うのだ。
『どんなに強い奴も運がなければ負ける』と。 『こんなに努力をしたのに負けたくはないから、運も努力して引き寄せる』と言うのだ。
■ 運取り合戦 『オリンピックは、運取り合戦だ』 そんな視点で、オリンピックを見ると、競技スポーツの違った面白さを見る事が出来る。
『日本人の勝ち負け。メダルの色』 といった表面だけでオリンピックを見るのなら、もっと競技レベルの低いスポーツを観戦するのと、面白さに大差はない。
オリンピックの決勝の舞台では、『元々大きい素質』の良い面だけでなく、悪い面もプラスに変えて実力とした選手が、ほとんどだ。 つまり、オリンピックの決勝の舞台では、『結果の三要素』である『素質』『実力』『運』の内の底辺2つ(素質と実力)がほぼ同等に高められた人間が戦う事になる。
そこで勝敗を決めるものが『運』になるのは必然だ。
もちろんオリンピックにも、遊技スポーツに毛の生えた程度で競技レベルの低い競技はあるが、歴史のあるメジャーな競技の場合、決勝レースに残った選手たちのほとんどが、自分の持っている素質を限界近くまで引き出して、実力を最大限付けて来た選手たちだ。 実際、オリンピックの決勝の舞台では、誰が勝ってもおかしくない僅差で勝敗が決する。
競泳で言えば、金メダルと銀メダルの差は、腕半分差や、指先差、といった僅差のレースの方が多い。 時間にして1/10秒〜1/100秒単位の差だ。 この差は、実力差ではない。
『スタートを出遅れるだけ』 だけでも、結果が逆転する。 場合によっては、金メダリストが予選落ちする事もあるし、直前に怪我をしてしまう事もある。
そこにあるのは、『運』だ。 逆に言えば、『運』しか残っていない。
ただし、単に『結果である勝ち負け』だけを見て、運を云々言うのは、表面だけを見た浅い楽しみ方だ。 例えば、上図のAさん〜Dさんのような4人を見た場合、Bさん〜Dさんまでがオリンピックの舞台に立った選手であり、結果だけを見比べれば、Aさんが一番ダメ人間のように思える。 実際、報道では、オリンピックの代表にすら入れなかったAさんを取り上げる事は、まずない。
もし、Bさんが日本人なら、『オリンピックに出場して予選落ちした』Bさんの方を大きく報道する。 しかし、『持って生まれた自分の能力を、どれだけ限界まで磨いてきたか?』という視点で見れば、Bさんだけが報道するに値しない。
代表選考会で負けたAさんは、本来、オリンピックのファイナリストであるCさん、Dさんと同等に扱われるべき人間だ。 なぜなら、『運』や『持って生まれた素質』の大小といった『自分ではどうしようもない不確定要素』部分が、Aさん、Cさん、Dさんの結果の優劣差となっただけで、この3人はみな同等に、心技体の3要素とも、自分の限界まで磨いてきた立派な選手たちだからだ。
しかし、Bさんは違う。 Bさんが磨き残したのは、『自分ではどうしようもない不確定要素』部分ではない。
まだまだ磨ける要素が十分あったにもかかわらず、持って生まれた自分の素質の高さに胡坐をかいて、他の3選手よりも怠けていた選手だ。 Bさんは、他の3選手たちと比べて、物事の捉え方が甘く、心の磨かれ具合が劣っている。
勝者の中にも、磨かれ具合に差がある事は、選手の発言内容から知る事ができるが、『負けた選手』や『注目度が低かった勝者』は、ほとんど報道されない。 負けた選手たちの中にも、負けた悔しさとは別に、『やりつくし感』が現れている選手がいても、だ。
これが、実際の試合会場であれば、敗者の人間性をも見る事が出来る。 『磨かれた勝者と同等レベルにまで磨かれた敗者の姿』も立派で、深く記憶に残る。 もちろん運は、ピラミッドの頂点にある事から分かるように、 『底辺である素質と実力が十分に高められた上での、拮抗した勝負』 で作用してくる。 『どんなに運が良くても、練習もしない人間がオリンピックで金メダルを取る可能性は、限りなくゼロに近い』 事からも分かる事だろう。
競技レベルが下がれば下がるほど、『生まれ持った素質』の影響が結果に大きく反映され、『運』は関係なくなる。 遊技スポーツにおいてスポーツとは、体を運び、動かす事だ。 確かに、運動だ。
しかし、競技スポーツでの運動は、雑誌か何かに載っていた言葉を借りると、 『運動は、運を動かす事なり』
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