泳道楽 (16)

〜 アンチドーピング 〜

高橋大和
2010.03.31

  

 

■ なぜ、ドーピングはいけないのか?

自分の行為は、自分以外には隠せても、自分自身に隠す事は出来ない。

 

『ドーピングは、なぜいけないのか?』

 

という問いに、

 

『副作用が大きく、体に悪いから』

『平等な戦いが出来ないから』

 

といったような理由を並べて、アンチドーピングを訴えている。

 

しかし、それらの理由は、二次的な理由だ。

そういった『世間的な理由』が、ドーピングをしちゃいけない一番の理由ではない。

 

一番の理由は、ドーピングをして勝利を手にすると、自分自身が苦しくてたまらなくなるからだ。

 

『苦しみを味わうのは、自分自身で、その苦しみに必ず耐えられなくなる時が来るから、だったら最初からドーピングなどしなければ良い』

のが、選手自身にとっての、ドーピングをしちゃいけない一番重い理由だ。

 

ドーピングをしなくちゃいけなくなるほどの高いレベルで戦う選手は、心技体の心まで磨く作業を必然的に行っている。

その高いレベルで戦う選手は、『勝利に至るまでのプロセス』を、深層心理部分で欲している。

 

表面的な意識で捉える事が出来る部分で、

『自分は勝利という結果を求めている』

と思って禁止薬物に手を出す選手であっても、自分では意識できていない心の深い部分では、

『その勝負の結果に到達するまでに、自分がどのようなプロセスを辿ったか?そのプロセスが、自分自身に誇れるプロセスだったか?』

という

『自分自身が、自分自身を認めたい。自分自身に誇りたい』と思う欲求

が存在していて、根底にあるその強い欲求が、死ぬほど苦しい練習に自ら追い込む動機になっている。

 

そのため、ドーピングで勝利を得たとしても、自分の心は満たされないだけでなく、自分の心が要求している

『自分自身に誇れるプロセス』

とは真逆の自分に、苦悩し始める。

 

時間が経てば経つほど、苦悩が加速度的に大きくなるのとは反対に、再チャレンジのチャンスは加速度的に小さくなる。

 

その矛盾に苦しむ事になる。

 

 

『いや、俺は、そんな事はないね。ドーピングをしてでも金メダルが欲しい。金メダルさえ取れれば、その時、その後も、ハッピーだ。金メダルが取れないほうがよっぽど不幸だ』

と考える現役選手も、少なからずいる事だろう。

 

確かに、私自身、現役選手だった高校生の時に、

『この薬を使えば、必ずオリンピックで金メダルが取れる』

という魔法の薬が仮に存在して、自分の目の前に置かれたとしたら、まず間違いなく、使っていた。

 

実際、高校生当時の私も、これと同じ自問をした事があったが、

『誰かが用意してくれれば、間違いなく使う』

と自答した。

 

競泳に全人生を賭けていたので、その後がどうなろうと、どうでも良く、

『そんな遠い未来よりも、目の前の勝利の方が、ずっと大切だ』

と本気で思っていた。

(幸い、日本のスポーツ界にはドーピングが出来る土壌がなく、そもそも、私の場合は、ドーピングして価値ある結果が得られるようなレベルの選手にはなれず、インターハイレベルの平凡な選手で終わったので、ドーピングとは無縁でいれた。)

 

若い現役選手にとっては、『サプリメント』と『禁止薬物』は、気分的には大きな差がなく、殺人のような悪とは違い、心理的には、禁止薬物に手を出しやすい。

 

若い時の幼稚な思考では、20年先の自分が持つ思想など、想像もできないため、

『未来の自分が、過去のドーピングを、思い悩み、苦しむ姿』

を想像できない。

 

困った事に、『後悔 先に立たず』で、先に、未来の苦悩を想像するのは難しいのだが、運良く肉体的な副作用は現れなかったとしても、心理的には、必ず苦しむ事になる。

 

例えば、38歳の若さで亡くなり、女子100M走で1988年に出した世界記録を20年以上守り続けている(2010年現在)ジョイナーも、晩年、テレビ出演した時に、アンチドーピング活動に精を出していると言っていた事からしても、相当の後悔があったと思われる。

(本人は結局、ドーピングを認めず亡くなったが、当時の男性化した様子や、桁違いの記録からして、限りなく黒い)

 

あるいは、最近では、1998年に1シーズン70本塁打の大リーグ記録(当時)を作ったマーク・マグワイアも、『引退後の今さら、なんで?』というタイミングの2010年1月になって、ステロイド薬物を服用していた事を、とうとう告白した。

 

『疑惑を否定し続て、疑惑は疑惑のままにしていれば、グレーであったとはしても、名誉が守れたはずなのに、今さら、なんで?』

 

と思うかもしれないが、時間が経てば、経つほど、自分に嘘を付いている事が、苦しくて苦しくてたまらなくなり、名誉を捨ててまで、生きている間に、贖罪をしておきたくなるのだ。

自分に付いた嘘を、あの世にまで持っていく勇気があるような人間は、そうそう、いないのだ。

 

そもそも、ドーピングという手段に逃げ込みたくなるようなレベルにまで、競技スポーツを突き詰めている選手は、日々のトレーニングで、自分自身に向き合う事が習慣(性格の一部)となっている。

常に自分の心と向き合い続けて強くなってきたそんな人間が、自分が最も大切にしてきた世界での、自分の卑怯な面に一生向き合わず、目を瞑って生きていけるはずがないのだ。

 

『世間的な名誉』といった『他人からの高い評価』がいくら得られても、

『自分の出した結果が、自分自身の力であったのか?それとも薬の力であったのか?』

自分自身のやった事をすべて知っている自分自身だからこそ、余計に分からない。

 

『自分の本当の実力を知りたい』と思っても、もう、選手に後戻りできない年齢になってしまっているので、自分の心のモヤモヤを晴らす機会はやってこない。

 

『わからない』という、人間が最も苦しく感じる感情が、日に日に膨らみ、自分の未来に黒しか見えない、絶望感にさいなまれる。

 

そこに追い討ちをかけるようにして、『自分自身では誇りを感じる事が出来ない結果』に対し、世間からは実力以上の評価を受ける。

世間だけでなく、最も身近な家族までもが、そう評価する一方で、事の真相を知る自分一人だけで、誇れない自分を隠し、苦悩し続ける事になる。

 

そのギャップに、『果てしなく深く空虚で黒い苦しみ』が生まれ、『そんな黒いものを、たった一人で、本当に抱えていけるか?』と、不安に苦しむ。

自分の人生で最も大きな位置を占めてきた部分での悩みだけに、思い悩む苦しみから、開放される事はない。

 

だから、『何も今さら』と世間が思っていても、マグアイアは白状したのだ。

『白状し、自分の苦悩を世間にさらす事で、現役選手が自分と同じ過ちを犯さないでくれれば、自分の犯した罪も、多少は世間の役に立ち、この世で贖罪を完了させて、あの世に行ける』

と、おそらく考えて告白しているのだ。

 

『ドーピングをしなくては勝てない』と考える弱い心と、自分自身を追い込み磨こうとするきれいな心を持った人間が、あの世まで、自分の嘘に目を瞑り続けられるはずもないのだ。

 

後悔 先に立たず

 

 

 

■ ドーピング効果

ドーピングの真の効果は、薬の作用ではない。

 

『薬を使って競技力が向上した事で、心理的に前向きになり、競技に対して再びやる気が出た』

事が、ドーピングの一番の効果だ。

 

『心理的効果』が、最大の効果であり、心理的にやる気が起きれば、薬でなくても良いのだ。

 

例えば、競泳の場合、2008年にレーザーレーサーという高速水着が登場し、様々なメーカーから高速水着が発売された。

現役を引退した選手ですら、『20年ぶりにベストを更新』という現象が、続々起きた。

 

高速水着を着て速く泳げる事で、『もっと速く泳げるはずだ』と、急にやる気が出て(競技に取り組む姿勢が前向きになり)、記録が水着の性能以上に向上した。

実際、同じ高速水着を着ても、どんどんベストを更新していく元選手が、続々誕生した。

※※ 備考 ※※
実際、私も、高速水着を着た2大会目で21年ぶりにベストを更新し、その次の3大会目で、更にベストを大幅に更新した。

この自分の出来事を分析しても、明らかに心理効果の方が、水着の性能効果を上回っていた。

 

と同時に、

『高速水着がなければ、速く泳げないんじゃないか』

という不安が発生し、ドーピングで薬に依存するようになるのと同様に、高速水着に依存する心理が発生した。

もし私が、現役選手だったのならば、きっと、この不安は、もっと大きかったはずだ。

このように、高速水着効果は、擬似ドーピング体験と言える。
※※※※※※※

 

記録が伸び盛りの時に、わざわざ、禁止薬物に手を出すはずがないから、ドーピングをする選手というのは、競技レベルが自分の限界近くに来た事で、記録が伸び悩んで、禁止薬物に手を出しているはずだ。

 

『もう、自分は限界じゃないか』

という不安な気持ちに支配されて、競技に対して後ろ向きな姿勢になっている時に、禁止薬物に手を出す。

 

当然、薬効で、記録が伸びる。その事で、

『まだ、やれるぞ!まだ、記録が伸びるぞ!』

と、技術面も含めて、トレーニングに前向きに取り組み始める。

 

ドーピングの効果は、

 

薬効 + 心理効果 = ドーピング効果

 

だが、その割合は、圧倒的に、心理効果の方が大きい。

 

なぜなら、ドーピングをしても、もし、トレーニングをしなければ、記録は伸びないからだ。例えば、

『日本代表にもなれない選手が、もしドーピングをしたとしても、その次の日、世界記録を出す事はない』

事を想像すれば、分かるだろう。

(マグアイア選手が、「使わずに好成績の年もあれば、使っても駄目な年もあった」と告白している事も、薬効が心理効果を上回れない事実を支持している)

 

つまり、心理的効果さえ得られれば、ドーピングした時と同等の効果が得られるわけだ。

薬は単に、自分の気持ちを前に押し出す助けをしただけに過ぎない。

 

心理効果は、自分の中に存在する心が起こしているのであって、自分の心を前向きにするのは、自分の脳みそ内、自分の考え方を、どうにかすれば良いだけだ。

禁止薬物を使わずに、自分の心を前向きにできる方法を模索すれば、ドーピングなどする必要はないのだ。

 

実際、ドーピングで出した記録は、その後、破られている。

例えば、1988年ソウル五輪100M走でベン・ジョンソン選手が筋肉増強剤を使って出した9秒79は、当時の世界記録9秒83を大きく上回る驚異的な記録だったが、ボルト選手が2009年に出した9秒58には遠く及ばない。

 

本当は、ベン・ジョンソン選手も、禁止薬物を使わなくても、世界記録は出せたのだ。

禁止薬物以外で、競技に前向きに取り組む姿勢が手に入れば、正当な世界記録保持者になれたのだ。

 

彼は、ドーピングがバレて、金メダル剥奪、世界記録抹消、陸上界からの追放の制裁を受けたので、その事で既に救われたと思うが、もし、バレずにいたら、彼は今頃、苦しくてたまらなかったはずだ。

少なくとも、死ぬ瞬間に、自分の嘘の経歴を思い浮かべながら死なざるを得なかったはずで、もう二度と、この世には戻って来れない死の瞬間に、黒い気持ちを抱きながら死ぬのは、まさに地獄と言える。