泳道楽 (15)

〜 筋肉の性質と柔軟性 〜

高橋大和
2010.03.31

  

 

■ 間違いやすい筋肉の性質

筋肉は力を入れる事より、抜く事の方が難しい

● 筋肉を付ける事よりも、一度付いた無駄な筋肉を落す方が難しい

 

筋肉の性質を間違って捉えている選手は多い。

一般人が日常生活に求める筋肉レベルと、競技者の求める筋肉レベルでは、求めている筋肉が違う事を、選手は注意深く観察し、トレーニングに応用する必要がある。

 

 

■ 脱力の難しさ

筋肉は力を入れる道具であるため、力を抜く事を苦手としている。

 

例えば、競泳のストリームライン姿勢の場合、古い時代に使われていた旧型と、近年使われるようになった新型では姿勢が違っていて、その姿勢の違いは、筋肉の使い方(力の入れ具合)が違っている。

 

『旧型では力を抜いていた所に新型では力を入れ、旧型で力を入れていた所は新型では力を抜く』

といった具合に、ひとつひとつの筋肉の『力の入れ方』が真逆になる。

 

 

旧型の姿勢が身に付いている古い時代の選手が、新型に変えようとすると、理屈は簡単でも、実際にはなかなかうまく変更できない。

 

理由は、力を入れる方は簡単に出来るが、力を抜く方がうまく行かず、単に体全体に力が入ってしまって、体が棒状になって泳ぎがギクシャクしてしまうからだ。

 

 

この現象は、

『どのスポーツでも、素人ほどギクシャクした動きをしていて、上級者ほどスムーズな動きをする』

のと同じ理屈だ。

 

素人ほど必要のない所にまで力を入れてしか動作を作れず、上級者になるほど、うまく力を抜いているため、動作の"スムーズさ"に差が出て、結果的に競技パフォーマンスの差となる。

 

つまり、競技力の差は、『力を入れる方の差』ではなく、

『力を抜く方の差』から主に来ていて、

『力を抜くテクニックの差』に比べれば、

『力を入れた時の最大筋力の差』の影響は、非常に小さい。

(極端な例では、競泳経験のない筋肉ムキムキのボディビルダーよりも、力のない子供と言えども、小学生の競泳選手の方が泳ぐ事に関しては、圧倒的に速い)

 

脱力の難しさは、『動作のスムーズさ』という筋肉の微妙な力配分の問題だけではない。

簡単に思える『完全脱力』も、実は非常に難しい。

 

例えば、床にまっすぐ寝る。

自分では十分脱力しているつもりだが、そのまま寝ていると、さらに力が抜けるのが分かる。

腰の辺りに意識を向けて試すと分かりやすいが、床に寝転んだ当初は浮いていた腰の辺りが、しばらくすると、もっと力が抜けてきて、背中が床に吸い付くようにして体が緩み、沈み込む。

寝転んだ瞬間にこの脱力姿勢を作り出すのは、かなり難しい。

(ところが逆に、例えば、殺人犯に襲われて飛び起きて反撃する事をイメージすれば分かるように、力を限界まで出す方は、比較的簡単に出来る)

 

このように『力を入れる道具』である筋肉にとって、『力を抜く』という行為は、微妙で、難しい作業なのだ。

 

自分自身の体を深く見つめてトレーニングをする必要のある選手が、

『筋肉は力を抜く方が簡単に出来て、鍛える方が難しい』

などと、自分の体の表面しか捉えずにトレーニングをしていれば、強くなれないのは当然だ。

 

現実を、そのように浅く捉えている選手の多くは、筋肉が得意な方の(力を入れる方の)筋力強化トレーニングは当たり前にやっているが、筋肉が苦手としている脱力の訓練はしていない。

筋トレには達成感があるが、脱力トレーニング(例えばストレッチ)には、達成感がない上に、目的が分からないから、つい、おざなりにしがちだ。

 

難しい方(脱力)の訓練はせずに、簡単な方(筋トレ)はする。

それではトレーニング方法が、矛盾している。

 

 

(物事を)深く捉え、深く利用している選手が、強い選手なのだ。

 

 

■ 一度付いてしまった筋肉を落す難しさ

筋肉の強化トレーニングを行うと、目に見えて筋肉がメキメキ付いて、体が大きくなり、鏡の前に立っている自分の姿が、日に日に、たくましくなっていく。

 

ベテラン選手になると、競技パフォーマンスはなかなか向上しなくなっているだけに、成果が目に見える、筋力強化トレーニングには、つい、のめり込んでしまいがちだ。

 

しかし、

『何のために、筋力強化を行っているのか?』

という本質を忘れて、筋トレを続けると、気付いた時には、競技に不必要な筋肉が付き、体が硬くて重く、動作が直線的で、しなやかな動作が出来なくなって、やり過ぎた筋トレが、競技に悪影響を及ぼしている事を自覚し始める。

慌てて、筋トレの量を減らすが、この時、すでに、手遅れだ。

 

筋肉は、付けることよりも、落す事の方がずっと難しい。

 

もちろん、じっとしていれば、筋肉はあっという間に落ちてしまうのは、間違いない。

しかし、アスリートという立場の筋肉は、一般人とは違う。

 

アスリートは、競技力向上のため、日々、トレーニングを続けなければならない。

トレーニングを続ける環境で、筋肉を落すというは、非常に時間がかかる。

 

例えば、極端な例で、トレーニングを半年間、完全に中断し、付き過ぎた筋肉を落したとする。

これで、もう大丈夫だと錯覚するが、それは違う。

 

半年後、トレーニングを再開すると、一旦付いた筋肉の状態を体が覚えているかのように、メキメキ筋肉が戻ってくる。

そうしてまた、体が元の、ガチガチの筋肉の固まりに戻ってしまう。

ちょうど良いという所で、筋肉の成長が止まってくれない。

 

付きすぎた筋肉は当初、ハードな筋トレを半年や1年続けて、やっと手に入れたはずなのに、元の状態には、軽いトレーニングでさっと戻ってしまう。

 

私の経験的には、一旦付いた筋肉を、ベストな筋肉量に落すのに3年くらいは、かかった。

 

ボディビルといった農耕馬系の競技を除けば、ほとんどの競技では、瞬発力が必要なサラブレッド系の筋肉が要求され、

『可能な限り細く、可能な限りパワフルな筋肉(軽くて強い筋肉)』

が、理想のはずだ。

 

『自分が何のために筋トレを行っているのか?何を目指しているのか?』

という本質を忘れて、筋トレに走ると、アスリートとしての貴重な時間を、その後、年単位で浪費してしまう危険性がある事を、認識する必要がある。

 

 

■ 脱力と最大筋力の関係

筋肉は、力を入れた直後に脱力(筋肉を弛緩)させやすく、

逆に、力を抜いた直後に、最大筋力を出しやすい。

 

という筋肉の性質を知れば、脱力する方向へもトレーニングの意識が向きやすい。

 

例えば、力を抜く方法は、テレビ番組でもたまに紹介されるが、前屈を行う前に、"シェーのポーズ"を3回取ってから行うと、より深く前屈できる。

つまり、ギュっと力を入れた後に、力を抜くと、うまく力を抜く事が出来る。

※※ 備考 ※※
知らない人は、『シェー 前屈』でググると出てきます。

これは、最大筋力の後に、最大脱力が起きる筋肉の性質を利用しているだけなので、瞬間的に力が入る動作なら"シェーのポーズ"じゃなくても良く、何でもよい。

ヨガ教室などでも、床に寝た後、「全身の力をギューっと入れて、脱力」とやって、力を抜いたりする。
※※※※※※※※

 

筋肉を脱力させる方法を知るだけでは、それが競技パフォーマンスにどう影響するか、ピンと来ないだろうが、脱力とは反対に最大筋力を出す方の性質を知る事で、脱力の重要性にも気付ける。

 

筋肉は、脱力した状態から力を入れた方が瞬発的に大きな力が出せる。

これは、理屈としては知らなくても、選手なら感覚で知っていて、無意識に利用している。

 

例えば、ゴルフや野球でも、遠くに飛ばそうとして力を入れると遠くに飛ばず、逆に力を抜いて、うまく振ると遠くに飛ぶ。

 

例えば、スタート前に体をブラブラゆすったり、軽くジャンプして筋肉を緩ませてからスタートする方が、瞬発的に力が出る事を、選手なら誰でも利用してスタートしている。

 

※※ 備考 ※※
以前、イチロー選手が、

「どうしたら、あんなレーザービーム返球が出来るのか?」

と質問された時に、脱力する事が大切と答えていた。

守備の時、イチロー選手は、いつも、手をダラーっと下げて、体をゆすってボールを待っている。

これは、最大脱力後に最大筋力が出る事を、イチロー選手が利用している事を示す発言と思われる。

「フェンスに激突する時にどうするか?」

という質問でも、

「赤ちゃんが椅子から落ちるように、脱力する。力を入れると逆に怪我をする」

と答えていた事からも、脱力がいかに重要(しかも、難しく、奥が深い)か分かる。
※※※※※※※

 

 

物事の左右は両端で繋がっているため、筋肉もまた、

『最大脱力をすると、最大筋力が出る』

『最大筋力を入れると、最大脱力できる』

と、相反する性質が引っ付いているわけだ。

 

このように、

より大きな力を引き出すためには、

『脱力』と『筋力(力を入れる)』の振れ幅を大きくすれば良い

事が予想され、

筋力強化とともに、より難しいほうの脱力を訓練してこそ、鍛えた筋肉のパフォーマンスを、より大きく引き出せるはずなのだ。

 

力を出す方の筋力強化にだけ目を向けてトレーニングを行っていくと、ボディビルダーのように筋肉ばかりが大きくなって、重い物を動かす農耕馬にはなれても、サラブレッド(競走馬)のような瞬発的な力は出せなくなる。

 

鍛えた分だけ、上手に脱力する事も意識的に鍛える必要があるのだ。

 

 

■ 関節の可動域

脱力訓練は、『関節の可動域が大きくなる事で、同じ体から、より大きな力を引き出す効果』もある。

 

例えば、(脱力する訓練とは、ストレッチといったような柔軟性を確保する訓練だが)

 

『同じ筋力を持った体でも、柔軟性が高く、関節の可動域が大きければ、結果的に体を大きく、多彩に動かせる事で、ダイナミックなフォームが可能になり、大きなパフォーマンスをに繋がる』

 

という面もある。

 

関節の硬い選手が、大きなフォーム(大きな動作)を作ろうとすると、体の軸を崩して動作せざるを得なくなってしまう。

大きなフォームを目指しても、関節の動作に合わせて体の軸までもがブレてしまうため、パフォーマンスが向上するどころか、逆に低下してしまうような事態になる。

 

体に柔軟性のある選手なら、関節を大きく動かしても、関節に合わせて体の軸までもブラす必要はなく、軸を保ったまま、ダイナミックなフォームを作る事が可能になる。

 

若い選手は、筋肉を肥大化させる事で、より高いパフォーマンスを引き出そうと考え、筋力強化の方向でトレーニングを進める。

体が成長を続けている若い時期は、筋力の強化にだけに目を向けたトレーニングでも、競技力は向上する。

 

しかし、ベテランの領域に入ってくると、体(筋力)の成長や疲労回復速度が鈍り、

『強化トレーニング』と『競技力の向上』を、効果的に結び付けられなくなる。

 

ベテラン選手は、

『筋力強化による競技力向上』

から、

『関節を柔軟に動かして体を多彩に動かす事で、体全体から結果的に大きな出力を出す事で、競技力向上を目指す』

方向へと、トレーニングの主体を移す必要が出てくる。

 

ベテランに入って壁にぶつかったこの時期、過去(若い頃)の成功体験に縛られて、

『若い頃の感覚や、上り調子だった頃の感覚に戻したい。』

と考え、さらなる強化トレーニングを取り入れようとしがちだが、ベテラン選手がそこを目指すと、ほぼ間違いなく失敗する。

 

その失敗で、競技レベルが下がるだけなら良いが、多くの場合、怪我をして選手生命すら危うくなる。

 

長い選手生活と加齢によって、怪我をしやすい体になっているのだから、

『怪我の予防にも、競技力向上にもなる、柔軟トレーニング』

に目を向ける事は、ベテラン選手にとって重要な作業となる。

 

若手の失敗は、経験不足から来る事が多いが、ベテラン選手の失敗は、過去の成功体験に縛られる部分が非常に大きく、ベテラン選手は、過去の成功パターンとは違った新しい方向への転換が必要だ。

 

 

■ ストレッチは筋トレだ

体の硬い人の筋肉は、癒着しているため、可動範囲が狭くなって、『体が硬い』という状態になっている。

その癒着している筋肉を剥がす作業が、ストレッチだ。

 

体の硬い人がストレッチを真剣に行うと、癒着した筋肉が剥がれる。

癒着していた筋肉が剥がされるので、筋肉が壊れて、その部分に筋肉痛が起きる。

(もちろん、癒着が剥がれる事は、正常な筋肉に近づく行為であって、悪い事ではない)

 

筋トレは、重たい物を持つ事で、筋肉が破壊され、再生する時に筋肉が太くなる事を利用して、筋力強化を行う行為だ。

筋トレも、壊れた筋肉が再生する時に、筋肉痛が起きている。

 

つまり、ストレッチで癒着した筋肉が剥がれて筋肉痛が起ころうが、筋トレで筋肉痛が起ころうが、筋繊維から見た時には、

『壊れた筋繊維が再生しようとする。その時、筋肉痛が発生する』

わけで、ストレッチも筋トレも同じ行為なのだ。

 

医学的に根拠があることかは分からないが、少なくともイメージとしては正しく、

『ストレッチでも、筋トレと同じように、筋肉が強化される』

と考えれば、ストレッチも筋トレと同様に、真剣に行う気になれるはずだ。

 

 

■ 柔軟練習

ストレッチ訓練は、筋トレのような集中型のハードトレーニングとは違ったコツがある。

 

ストレッチは、ストレッチ訓練という時間だけで処理しようとせずに、日常生活に取り込んでしまうのだ。

 

 

インターハイにすら出場できなかったにもかかわらず、その後、1996年アトランタ五輪の代表選手にまで成長した吉見譲くんと知り合って、

『インターハイレベルの平凡選手で終わった私と、五輪選手との違い』

を知る事になった。

 

吉見譲くんは、普通の日常の会話中でも、常に体のあちこちを動かして、会話をしながらストレッチをしていた。

 

私が現役高校選手だった時のストレッチは、練習前か練習後に、長くてもせいぜい20分間、ストレッチの時間を作ってやっていた。

 

一方、オリンピック代表選手の吉見譲君は、日常生活の中で暇さえあれば、常にストレッチ動作をしていた。

もうそれは、ストレッチ練習ではなく、『クセ』のひとつといっても良いような状態だ。

 

これでは、圧倒的な差が付いて当然だ。

 

『練習時間中にだけ練習』をしている凡人は、平凡選手のままで終わり、

『日常生活も練習』をしている凡人が、日本代表選手に成長するのは、

『素質』以前の問題で、『競技に取り組む姿勢の差』だ。

 

 

体の硬い選手ならよく分かるだろうが、ストレッチを集中してやってみても、あまり効果が出てこない。

気長にコツコツと、ひたすら続ける事でしか、体は柔らかくならない。

 

つまり、吉見譲くんが使った手法と同じ手法を用いれば、

『ストレッチをしても、体がぜんぜん柔らかくならない』選手

であっても、柔軟性が手に入り、関節の可動域を広げる事で、結果的に競技力が向上する可能性が大きく広がる。

 

しかも、ストレッチ動作を日常のクセにしてしまえば、トレーニング時間を削る必要もなく、『練習時間が増えた』といった心理的ストレスも生まれない。

 

柔軟性を高める訓練は、集中型の訓練だけで完結させるのではなく、日常にクセとして取り込むのが一番良い方法だ。