泳道楽 (11) 〜 調整期間(テーパー) 〜 高橋大和 |
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■ 調整(テーパー)の役目 調整期間の一番の目的は、疲労を抜く事だ。
重要なレースの前の数週間は、それまでのトレーニングで積み重ねられたしつこい疲労を完全に抜くために、練習量を大きく落とす。 年齢にもよるが、その調整期間は、おおよそ2週間くらいだ。
『重要なレースほど、実力を発揮できない弱い選手』に限って、 調整期間中に無駄な練習を繰り返し、疲労が抜けきれないままレースをして、『結果が出ない。実力が出せない』と悩んでいる。
レース結果の7割は、調整期間に入る前までに決まってしまっていて、残り2週間に何をしても無駄。
『調整期間中にやるべき事は、疲労を抜く事』で、調整期間に入ってからの練習は、無駄だ。 調子が良い時だけでなく、調子が悪い時でも、いや、調子の悪い時こそ、残り2週間で何をしても無駄だ。
『これから戦いに挑もうとしている選手』なだけに、『調整期間中』も『レース当日』も、『やり過ぎ』の方に注意を払わなければならない。
調子の良し悪しに関係なく、体を休める。それが、ベストな選択だ。
『えー、調整期間中には、こういう事をして、こんなダッシュをして、徐々に記録を上げて・・・・・。そうやらないといけないんだよ』 といったような、か細い神経が、ちょっとしたアクシデントにすら、うまく順応できない弱さに繋がり、勝負弱い結果を生む。
『えー、そんな事いっても、2週間も練習しなかったら、せっかく付けてきた持久力とか落ちるんじゃない?やっぱり持久力とか維持する練習は、必要じゃない?』 なんて、心配はいらない。
人間、それほど、か弱く作られてはいない。自分が考えている以上に、強く出来ている。 ※※ 備考 ※※ (献血をすると、分析した血液データーをくれる。ただし、献血をした後、数週間程度は、競技能力というレベルでは、持久系のトレーニングが苦しく感じる事からして、レース前に献血するのは良くない。私は、オフシーズンに入ってすぐに献血している) 従って、たった2週間やそこらで、鍛えた持久力や瞬発力が落ちたりする事はない。 実際、オリンピックで活躍した選手が戻ってきた直後にインカレに出場したりした時、さらに記録を縮めてくる事はよくある。 つまり、合わせたピークをさらに数週間過ぎても、積み上げてきた能力が急に落ちることはない。 落ちるとすれば、疲労や気持ちの面だけだ。
「レース前に風邪などを引いて、練習がまったく出来ずにレースに出たのに、あれ?なんで、ベストなの?」 といった話を聞いた事があることだろう。 このように、極端な場合、調整期間の2週間、ひたすら寝て過ごしてレース当日を迎えても、良い結果は出せる。
『調整期間中に練習をし過ぎて悪い結果になる事はあっても、練習をしなさ過ぎて悪い結果になる事はない』 そう信じている図太い神経が、勝負強い結果を生む。
トップを争うレースで問われるのは、心の強さだ。
強力なライバル、アウェー、天候の急変といったような様々な悪条件がやって来ても、逆にそれを利用して自分に有利に働く力としてしまう、その柔軟な心の強さを問われる。 持久力やテクニックといった表面的な事を問われるわけではない。
『納得のいく練習が出来て、この調整期間を迎えたのなら、もうこの段階で勝利は決まったも同然だ』 と信じる、その開き直った余裕が、想定していなかった出来事が起きても、 『もういまさら何が起きても、自分の勝利は変わらない』 と、柔軟にやり過ごす対応力に繋がり、勝負強い結果を生む。
調整期間中の練習内容など、感覚が掴めて、疲労さえしなければ、なんでもいい。
■ 調整期間中にも攻められる事 調整期間中に唯一、積極的に攻められる事は、イメージを固める脳内作業だ。
前章で説明したように、『これまで積み上げてきた実力』と『未来の結果』を繋げるために、これまでに作ってきた頭の中のイメージを、より強くしっかり固める。 調整期間に入った段階で7割だった勝利を、このイメージ固め作業で、9割まで上げる。
スタート台に上がる段階までに、勝利の9割までを自分の力で決める事が出来て、実際のレースでは、残り1割部分の決着を付けているに過ぎない。
ただ、もし、イメージ作りをせずに気を抜き、図太い余裕に寄りかかってしまうと、そこには隙が生まれて、 『今大会は絶好調で自信があったのに、なぜか実力が出せなかった』 という事態に陥る。
物事の左右は両端で繋がっているため、油断をすれば、『強さを生むはずの余裕』を通り越し、そのまま反対側の『過信』へと、いとも簡単に繋がる。 トップを争う選手には、『紙一重の差を扱いきれる能力』が求められている事を忘れてはいけない。
調整期間中は、体はしっかり休め、暇になった時間は、脳みその活動に使って、隙を作らないように気を張り続ける。
■ 調整期間の落とし穴 ただ、困った事に、普段、忙しく練習に明け暮れてきた選手が、この調整期間中は急に暇になる。 練習に明け暮れてきた選手なだけに、本を読むとか、ピアノを弾くとかいった静的な趣味を持たない選手がほとんどだ。 力にも、伸びしろにも、余裕がある中高生選手でもなければ、暇になったからといって遊びに行くわけにもいかないので、時間を持て余す。
暇になると脳がいろいろ考えるようになって、不安を煽る。 『今日の練習ではいいタイムが出なかったから、明日はもっといいタイムを出したい。そのためには、もっとこういう練習をしよう』 といったよな事を、つい、考えてしまい、余計な練習をしたあげく、疲労が抜けない。
しかし、自分の行動を冷静に分析しなければならない。 その行動は、『不安』というネガティブな心理から出てきた行動だ。
仮にその思考行動で、今日、良いタイムが出たとしても、それは『ネガティブな未来のレース結果』に繋がる道を歩んだに過ぎず、『今日の練習タイム』と『実際のレースタイム』は、まったく、なにも、関係ない。
その『不安に後押しされた行動』は、練習で良いタイムを出す事で安心を得ようとしているに過ぎず、 そんな『ネガティブな心理に後押しされて得た安心感』は、レースを不利にする事はあっても、有利にする事は、まったくない。 調整期間中の今、やろうとしている事は、レースで勝利する事であって、練習で良いタイムを出して安心する事ではない。
ポジティブな心理から出た行動なら、一見無駄に見えるような行動であっても、それは正しい。 しかし、不安に後押しされた行動は、負けるための行動でしかなく、グッとこらえる勇気が必要だ。
『どんな結果にも納得できるようにやってきた、これまでの自分』を信じて、不安に駆られた行動は、グッとこらえなければならない。 不安を振り払う勇気、それは、必ず勝負強さを生む。
トップを争うレースでは、心の強さを問われるのだ。 不安に自分が左右されてしまうような弱い心は、どんな良い状況もひっくり返してしまうほどの強いマイナスのパワーを生み出す。
『レース前に襲ってくる不安』の方ではなく、『今まで自分がやってきたプロセス』の方を信じるのだ。
■ 不安を突っぱねるコツ 重要なレースほど、いつも通りの行動をしろ。
『これは、重要なレースなんだ』という事は、苦しい練習を抜けてきた選手本人が一番よく分かっている。 選手本人の心の奥底にある感覚までもが、『これから挑む戦いが、自分の人生で非常に重い体験になる』事を感じ取っている。
そんな状況に追い討ちをかけるようにして、いつもと違う何か特別な事をすれば、 『こんな重要なレースなんだからミスは許されない。もう二度とチャンスは回ってこないかもしれない』 という思いが膨らみ、体が動かなくなる。
『いつもとは違う異常な状況で、いつもと同じ平常心を保つ』 その異常なほどに高められたバランス感覚が、自分の能力を限界まで引き出し、自分の想像以上の結果を生み出す。
平常心を保ち、自分のスタイルを貫いた『自分のレース』をする事で、勝利がグッと近寄ってくる。
この異常な状況で平常心を保つテクニックが、『いつも通りの行動』だ。 いつもと違う事は、極力しない。 食事も含めて、あえて、いつも通り。
これから挑む異常な状況は、突然やってきた天変地異ではなく、予測可能なレースなのだから、これを利用しない手はない。 目標としている大会と同じ行動をパターン化しておき、普段のレースの時からその行動を取る事で、『いつも通りの行動』にしてしまう。
例えば、重要なレースでは、神社に行って願をかけたいのなら、重要なレースの前だけでなく、普段のレースの前も願をかけておく。 例えば、『戦う直前に口に水を含む事で、戦闘モードのスイッチを入れる』といった儀式があれば、普段のレースの時に、同じ手順で儀式を行って、スイッチを入れる。
調整期間中やレース当日の行動の、食事や睡眠や、何か自分でやりたくなるような事は何でもパターン化しておく事で、それは当たり前の行動となり、重要なレースの時にだけにしか出来ない特別行動といったものは、少なくなる。
その行動パターンにハメる事で(行動を儀式化することで)、重要なレースに挑む自分自身の無意識領域に、 『いつもと同じ。いつもと同じようにするだけでいい。いつもと同じようにやれば、自然に結果は付いてくる』 と、暗示をかける事ができる。
人間は普通、重要だと思う時ほど、何か特別な事をしたくなるものだが、よく思い出して欲しい。 特別重要じゃないレースの時にだって、自分の実力どおり、あるいは、自分の実力以上の結果を出して来たじゃないか。 『どんな結果でも納得できるようにやってきたプロセス』を根拠にして、『いつも通りの自分の強さ』を信じ、レースをすれば、自分のレースが出来て、結果はそこに付いてくる。
■ アップ効果 アップをした効果が最大限引き出される時間は、たったの5分間だけ。
儀式化するなどして、入念に事前準備をしていても、予測していなかったような事が起きる。
例えば、そのアクシデントのせいで、アップが出来なかっとする。 そんな時こそ、淡々と作戦変更し、平常心を乱す事なく戦いに挑んでいく事が、トップ選手には求められる。
この段階で、勝負の9割以上はすでに決まっていて、『アップによる心理面』が結果に影響するだけで、『どんなアップをしたか』で結果が左右されるような事は、もうない。 やり過ぎさえしなければ、どんなアップでも、もう勝てる。
実際、アップ効果を検証した研究でも(参考文献)、アップの効果はたったの5分間しかない。 『火事場の馬鹿力』を思い出せば分かるように、心理面が結果に影響を及ぼすだけで、本当はアップ効果などほとんどない。
つまり、レース直前に体を動かして『戦闘態勢に入るスイッチ』を入れる事が最大のアップ効果であり、それ以前のアップは、選手の単なる気休めだ。 いつものようにアップをする事で、いつものように体を戦闘モードに切り替えているだけだ。
実際、私も渋滞で遅刻し、召集所に到着した時には、すでに自分の前の組がスタートした状態で、まったくアップをせずにレースをした事があった。 『朝一のレースでアップをしていないなんて、後半苦しいだろうな』 という不安とは反対に、結局、その年のシーズンベストは、このレースとなった。 私の周りでも同様の経験をしている選手がいる。
また、私の後輩の事だが、国体のレースで、スタート台の前まで行って、ゴーグルのゴムが切れて、信じられない事に、レースの進行を勝手に止めて召集所まで走って戻り、レースをするために控えていた後輩(控えていた方の日原将吾くんは、2009年に日本代表入りしました。おめでとう)のゴーグルを借りて戻ってレースをして、結局その時のレースが、生涯ベストとなっている選手もいる。 (全国大会である国体という格式あるレースであったが、スタート直前に突然走り出した選手に、審判ともども驚いて、何が起きたか誰も分からず、その後、審判に注意される事もなく、レースは続けられた(^_^) )
私自身が遅刻レースをした時の記憶では、事前準備があまりに出来なかった事で、なんとなく漠然とレースをしてしまったせいで、『後半、きつい』といったような思考すらもする余裕がなくて、結果的に、『細かいペース配分といった無駄な事』をしないレースが出来たせいで、良いタイムが出たように思う。
このように、不足の事態が起きても、実際に、レースには影響しない。 レースに影響を及ぼすのは、『不測の事態そのもの』ではなく、『不足の事態に動揺し、余計な事をしてしまうその心』だ。
プルセス(過程)さえ、しっかり踏んで来れば、もう、レース直前にガタガタしても、結果は何も変わらない。 その『なるようにしか、ならないさ』という図太い神経が、勝利に繋がる。
予定が狂ったからと言って動揺しない『柔軟な強さ』も、トップ選手に求められている能力のひとつだ。
■ 調整期間の長さと調整方法 『調整期間はどれくらい必要か?』 答えは、 『自分の体に聞け』
『レース当日にピークが来るように、疲労を抜く』 つまり、 『疲労が抜け切った直後に、ピークが来る』
『いつ疲労が抜けるか?』 それは、自分の体しか知らない。 なぜなら、同じ自分ですら、その時々の疲労の蓄積度合いによって、疲労の抜け具合が違ってくるからだ。
ただ、20代くらいまでは、おおよそ2週間程度で、疲労が抜ける。 調整方法としては、2週間前までは徹底的に体を追い込み、残り2週間で一気に練習量を落す。 (競泳なら例えば、70000〜15000M/1日の練習量を、水を触る程度に1000M/1日) すると、最初の1週間は、これまでに蓄積してきた疲労がどっと噴き出し、体が重くなって、調子が一気に落ちる。 感覚は悪くなり、不安を感じるほどに調子が落ちる。 (この時の不安から、つい『良い感覚』を求めて、しつこく泳いでしまがちだが、不安に後押しされた練習をすると、疲労が抜けきれなくなる) しかし、1週間過ぎた辺りから疲労がなくなり始め、残り3日辺りで今度は逆に、一気に調子が急上昇し始める。 この超回復作用を利用して、レース当日にピークをぶつける。
しかし、年齢とともに徐々に疲労が抜けにくくなるので、20代までのような調整方法では、うまくいかなくなってきて、別の調整方法を考える時期に来るのが、30歳前後頃で、調整期間も長く必要になってくる。 30代後半では、おおよそ3週間程度だ。 調整方法も、20代の頃のような『一気に落す調整方法』では、うまくいかなくなる。 自分の持っている感覚が研ぎ澄まされ過ぎて、急激な練習の変化からくる『感覚の大きな変化』に付いていけず、疲労が抜けたにも関わらず、調子を崩す事が多くなる。 (言葉で表現するのは難しいのだが、)エネルギーを爆発させる時のアプローチの仕方(点火方法)も、『加齢による体の変化』や『精神的成熟による心の安定』とともに変わってきて、感覚が研ぎ澄まされるベテランになると、若い頃のように心理的テクニックで一気にエネルギーを爆発させる方法よりも、もう少しソフトな『水の感覚面(技術的な感覚面)からの点火方法』の方が、うまくエネルギーを爆発させられる。 このために、一気に練習量を落とすのではなく、2週間よりももっと早い時期から練習量を落とし始め、感覚が大きく鈍り過ぎない程度に徐々に練習量を落とすようにする。 (もちろん、この時でも調整前半では、感覚が鈍くなり、調整後半に向けて疲労が抜け、体が動くようになってきて感覚が良くなってくる) 若い頃のような超回復的なピークのぶつけ方は出来ないが、ベテランらしい安定したレースが出来るようになる。
40代以降は、私は経験していないのでわからないが、疲労が抜けにくい分、普段のトレーニングも追い込めなくなる事は間違いないので、調整期間云々よりも、疲労との付き合い方を変え、トレーニング全体を見直す必要があるものと思われる。
ちなみに、成長期の中学生くらいまでの調整は、数日もあれば十分過ぎるほど十分だ。 どんどん成長し、疲労など感じない時期だし、仮に疲労していて失敗したとしても、その頃は『攻め続ける精神』を養う方が重要で、そんな細かいテクニックは必要なく、大胆(大雑把)で良い。
いずれにしても、これは私個人の手の内を明かしているに過ぎず、調整期間の長さ、調整方法とも、自分のスタイルを確立する必要がある。 調整期間の長さやその方法は、自分の体から疲労が抜けていく感覚を、普段の大会で何度か試して、その感覚を掴んで、模索していく。 その『疲労の抜け具合の感覚』を使って、レース当日から逆算して調整開始時期を割り出したり、『疲労を溜めずに抜き続けられる練習度合い』を見つけるようにする。
調整期間の練習は、感覚を確かめたり、感覚を掴む事に重点を置いて、自分の体とよく対話しながら、疲労を抜いていく。 練習中のタイムを基準にして調整していくと、『前はこのくらいのタイムだった』といったような、『今現在の体の状態とはまったく関係のない所の基準』で練習を組み立ててしまい、疲労をうまく抜く事ができない。
自分の体と対話する事は、自分自身を見つめる事にもなり、心を磨く作業のひとつともなっている。
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