重心移動ベクトル化運動理論 (1)

〜 序論 〜

高橋大和
2008.06.01

  

 

どのスポーツ競技においても、フォームは重要視されている。

しかし、推奨される理想のフォームやその解説は、すべてと言って良いほど、トップ選手を外見から捉え、外から見た時の動きを分析し、そこで終わってしまっている。

 

選手本人は、外から自分のフォームを捉えて体を動かしているわけではなく、自分の体内から体を動かしているにもかかわらず、外見分析で終わってしまっているのだ。

 

外見は、「学問としての研究」という意味では重要であり、また、人間の体内の感覚は個々人違ったものであるので、外見以外の方法では学問としては成立しないため、仕方ない事ではある。

しかしこれでは、「研究者のための理論」となってしまい、理想とされるフォームを実際に選手が取り込んで生かしていく事にはほとんど繋がらない。

 

理想のフォームや理論は、研究者のためのものではなく、選手が「速く走る」「速く泳ぐ」ためのものであるはずだ。

 

若い現役選手たちほど練習に明け暮れ、「練習時間以外に本を読んで研究し、自分なりに応用していく」といった事は、なかなか出来ない。

そのためにコーチの存在があるのではあるだが、知った情報をコーチが分かりやすく噛み砕いて伝えるにしろ、選手自身が研究し直接吸収していくにしろ、現役選手たち本人が吸収しやすい情報へと加工する必要がある。

 

そこで、私は選手の立場から見たフォーム、選手が競技に生かすための理論である、

重心移動ベクトル化運動理論

を提唱する。

 

これは、運動を「体全体の動き」として捉えるのではなく、動作を単純化して捉え、選手の内側から動きを考察したものだ。

 

「泳ぐ」「走る」といった、「移動速度を競う競技」の動作を究極に単純化すると

「重心が移動している」

のである。

 

移動速度を競う競技における運動を

「手足や体全体が移動している」

と捉えるのは、移動運動の本質ではない。

 

手や足や体幹といった部分は「移動の手段」であって、「移動そのもの」ではない

 

つまり

「重心がより速く移動していくように、手足を動かしている」

という事が移動運動の本質である。

手足は重心を動かすための単なる道具でしかない。

 

「結果的に体全体が移動している」からといって、体全体を移動させる方法を考えていては、動きが複雑すぎて、

「効率の良い動きとは、どんな動きか?」
「無駄な動きとは、どんな動きか?」

といったような事がわからなくなる。

 

ベテラン選手が、過去の経験や知識量が増えすぎた事により、自分本来のフォームが分からなくなって、スランプから抜け出せなくなる事と同じだ。

情報は少なすぎても問題があるが、多すぎる場合には情報を整理し必要な情報に的を絞って本質部分のしっかりした方向性を見出す必要がある。

 

移動運動において目指すべき方向性は

「重心を移動させるには、どのように手足や体幹を使い動かす事がより効率的で効果的か?」

というシンプルな方向性で動作を捉えてフォームを組み立ていく事が、正しい理想のフォームに近づくはずだ。