平泳ぎ (22)

〜 未来 〜

高橋大和
2008.10.31

  

 

私の話には、過去の平泳ぎの事まで出てきた。その理由は単に知識欲を満たすためだけの事からではない。

「向かうべき未来の方向を知る」

という理由がひとつにはある。

2008年現在の北島康介選手の最新の泳ぎも、あと10年もすれば古い泳ぎと呼ばれるようになり、20年後には田口キックのように化石化してしまう。

今現在のテクニックだけを知っても、それだけではすぐに、役立たない情報となってしまう。

大切な事は、自分に合った「自分が向かうべきひとつの方向」を見い出しておく事だ。

 

経験が増えてベテランになるほど選択肢が増えて迷いが生じる。

複数の選択肢の中から選び出すためのひとつの基準を見い出す事が、迷いからくる停滞期をより早く抜け出す方法だ。

 

若い現役選手は、「自分の生まれる前」や「物心が付く前」の事を知りえる機会も方法も少ないため、自分のやって来た、わずか10年程度の事だけを捉えて泳ぎを模索している。

私も現役時代には、知識欲を満たすためだけにスイマガなどから過去の事も多少は知っていたが、過去の泳ぎが自分の泳ぎに大きく役立つとは考えていなかった。

ところが、自分が水泳界に長く身を置き、30年弱(途中10年はブランク)水泳界を自分の目で見て来た事で結果的に過去を知る事となり、向かうべき方向が見えるようになった。

自分のやっている1つの時代だけを捉えた状況では、未来がまったく見えない。

 

図 22-1

 

未来が「上に向かっている」のか、「横ばい」なのか、それとも「下っている」のか、まったく予想すら出来ない。

泳ぎが行き詰った時に、いくら「今現在」を見ても、自分の向かうべき方向は見えてこない。

ほんの少し前の世代を知ると、ちょっとだけ時代の動きが予想できる。

 

図 22-2

 

図で言えば「未来は上に向かっている」という事だけ分かる。

しかし、「上」にも複数の方向がある。もしかすると、「上に下にと、まったくランダムに時代が迷走しているだけかもしれない」という可能性も排除できない。

 

ところが、もう1世代前まで知ると、もっとはっきりとした未来が見えてくる。

「自分の泳ぎを、どういう方向に進化させればよいのか」

という事に明確な答えを持って、ひとつの方向に突き進む事が出来る。

 

図 22-3

 

多くの情報の中から、変革期の重要情報をピックアップし、「何が起きてきたのか?」を捉えれば、おおよそ10年毎に「フラット化」という「ひとつの方向」に向かった進化が起き、フラット化の流れは、少なくともこの30〜40年は変わっていないから、この先もこの流れは変わらないだろうという事がはっきり見えてくる。

 

ウェーブ泳法のような、「一見、上下動の激しく見える泳ぎ」の時代も、「腰(重心)をまっすぐ移動させる」という方向は同じだったが、私も水没泳法が解禁になりウェーブ泳法が登場した時には、上下動に目を奪われてしまい、「ウェーブ泳法でも速い選手は、腰を上下動させていない」という基礎部分を見落としてしまった。

「重心移動のフラット化」という長年向かっている方向を捉えていれば、そんなミスも犯さずに済んだ。

 

未来もまた、さらなるフラット化に向かう事は間違いない事だ。

未来で重心(腰)が上下動したり、重心に斜めにベクトルを主としてかけて泳ぐ事はない。

人間が別の種に進化したり、水着やスタート台などが想像を超えて進化して、水面を飛び石のように飛び跳ねながら進めるようにでもならない限り、

重心移動のフラット化

の方向性は変わる事はない。

 

「向かうべき方向」を明確に知る事で、自分の泳ぎが行き詰ったからといって、腰まで上下させるような泳ぎを試す無駄な事をしなくて済む。

また、「技術は10年単位で小さく進化し、数十年に一度、根底部分に近い技術変革が起きる」という事も分かる。つまり、

それまでの技術にアレンジを加えた技術が10年で開発され、数十年に一度、それまでの技術を覆すような大きな進化が起きる

そして

オリンピック選手の多くは、10年先の技術を使って泳いでいるから、同等の身体能力を持った選手を押しのけて代表入り出来ている

事が分かる。

 

私は現役時代、よくこういう疑問を持った。

 

「俺だって、20年前なら世界記録じゃないか?10年前なら中学記録を楽に塗り替えられるじゃないか。昔の選手は、どんだけおかしな練習をすると、こんなに遅いタイムしか出せないという事になるのか?」

「心理的な壁なのか、それとも技術が進化しているのか?」

「技術って言ったって、俺はそれほど難しく泳ぎを考えた事もないし、たまにコーチに指摘される通りに泳ぎを作っただけだから、技術ってほどのものは持ってない。俺はどちらかといえば練習量という努力で速くなったと思うけど、昔の人はもっとすごい練習をしていたりする。なのになぜ、20年前の世界記録、10年前の中学記録と俺が同程度なのか?俺はあと10年、20年早く生まれたら、トップ選手だったのか?」

 

とよく考えたが、答えが分からなかった。

しかし、その疑問にも答えが出た。

 

「20年前の世界記録保持者は、20年先には当たり前に使うようになっている技術を使って泳いでいたが、その当時には20年先の泳ぎを見た人は誰もいないので、自分の力で探し当てるしかなかった。

ところがその泳ぎも、誰かが理屈を付けて理解されるようになった頃には、小さい頃からさんざんその泳ぎを見てきた選手が育っているので、普通の選手でも無意識にマネをする事が出来る。

実際の泳ぎを見た事で、その泳ぎのイメージを持つ事が出来るからだ。

 

ところが、多くの選手が真似できるようになった頃には、もう次の技術を誰かが知らず知らず使い始めている

今現在の誰かが付けた理屈を知った所で、現実はすでに少し先を歩み始めている。誰もまだ理屈をつけられないでいるだけ、目立たないだけの事だ。

イメージを真似る事は簡単でも、「まだ誰も知らないイメージ」を作る事は非常に難しい。その難しい作業を世界記録保持者は世界で先駆けてやっている。

つまり、心理的壁よりも、技術的壁の方が影響が大きい

 

という答えが出た。

だから、1988年当時、

「ジャネットエバンス選手の泳ぎは、なんで速いかわからない」

し、2000年当時、

「なぜイアンソープ選手は、S字ストロークを使わずまっすぐかいているだけで、ズバ抜けて速いのかわからない」

という事が起きて、10年も20年も破られないような大記録が作られる。

 

普通の選手でも、その新型の泳ぎを目で見ていれば、だんだんイメージがつかめるようになって、たいして理由もわからず勝手に自分も速く泳げるようになる。

逆に言えば、「未来を見通せない選手には世界記録は出せない」という事だ。

 

北島康介選手の泳ぎも、2008年になってやっと近い泳ぎをする選手が増えてきただけで、わずか4年前には誰も真似できていなかった。

北島選手は世界に先駆けて10年先の泳ぎをやって見せたのだ。

 

世界記録を出すようなトップ選手は、多くの部分を「鋭い感覚」を使って泳いでいる。

トップ選手ではなくとも、こういう「鋭い感覚」を持った選手に、一般の感覚しか持っていない選手が同じ事をしていても太刀打ちできない。

「感覚」で負けているのなら、「理屈から」だとしても技術的に工夫して対抗するしかない。

 

現役の頃には、「きつい練習で速くなれる」「筋トレをすれば速くなれる」という部分に向かいやすい。水中練習以外に技術面の時間を割くことは少ない。

「ドリル」などをやっても、たいして意味も分からずやってるから単なる休憩になってあまり意味が無い。

きつい練習や筋トレは必要だが、それと同等以上に技術面に意識を向ける必要がある。

 

トップ選手のような「未来を探り当てられる鋭い感覚」があれば別だが、普通の感覚しか持っていない選手が、「今」にだけ目を向けていては、現在の技術すら手に入らない。

過去を知って未来を予測し、未来の技術を身につける努力をすれば、上のステージで戦うチャンスが広がる事だろう。

 

また、現役選手は「速くなければ意味がない。結果が出なければ終わりだ」的な思考回路に、はまり込み易い。

しかし、そんな事はない。

「現役選手の時間」よりも「その後の人生」の方がずっと長い。

引退後の人生で役立つのは、「オリンピックに出た」といったような結果ではない。

オリンピック選手も20年もすれば忘れ去られる。

金メダリストですら「誰ですか?」なんて言われてしまう。

 

「どのように思考し、どのようなアプローチをかければ、目標達成に近づく道を切り開けるのか」

というノウハウが、その後の人生で大きく役立つ。

社会人に求められる事は、

「インプットを与えるだけで、自分で模索し、アウトプットを出してくる」

事だ。

 

「コーチが教えてくれないから」といったような姿勢は、競泳界で通用しないのと同様に、社会人でも通用しない。

「自分で模索する」という部分が社会人でも重要になる。

 

「結果」を一生磨き続けてもクスんで行くだけだが、泳ぎの本質部分は磨き続ければどんどん輝きが増す。

その部分が、泳ぐ事の「目的」だ。

結果は、「目標」にしか過ぎない。

 

この平和で豊かな日本では、泳ぎを模索するようなハードな経験は、なかなかするチャンスがない。

泳ぎで結果が出なかったとしても、その模索経験は引退後の人生にも引き継ぐ事が可能であり、磨き続ける事で輝きをさらに増す。

現役選手が、引退後の人生にまで目を向ける事は難しいが、「現役」や「結果」という小さな部分だけにしがみ付く事がないように取り組んでいって欲しい。