学校水泳 (9) 〜 クロールという競技は存在しません 〜 高橋大和 |
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背泳ぎのキックの話から一気に飛んで、クロールができるようになってしまった。 ─ 以上 ─ である。
もうあとは、プールにさえ来て泳いでいれば、放っておいても勝手に上達する。 「心理面(自信)」も「泳ぐ基礎テクニック」も手に入ったからだ。
「いや、そんな呼吸法はインチキで、クロールとは言わないよ」 という否定的な見方をする競泳素人の方も結構いるだろう。 しかし、そんな事はない。
「クロールという競技は存在しません」
競泳四種目の中に、「クロール」という競技は存在しません。 競泳四種目は 自由形 だ。
「クロールの事を自由形と言うのだ」 と、漠然と勘違いしている人は多いだろうが、それは違う。
自由形は英語で、freestyleだ。 「自由なスタイル」なのだ。だから、自由形なのだ。 どんな泳ぎ方をしても良いのが、自由形だ。ルール上、何をしても良い。 (近年、潜水泳法だけが禁止され、15M以上潜る事は禁止されている)
背泳ぎも、平泳ぎも、バタフライも、おおよそみんながイメージするそのままの泳ぎ方だが、自由形だけは、「自由な泳ぎ方」で、 「何でもいいから、水中で誰が一番速く泳げるか」 を競っているのであって、クロールのスピードを競っているわけではない。
「今現在、開発されている泳ぎ方の中では、クロールが一番速い」 から、全国大会や国際大会といった大きな大会の自由形の競技では、全員がクロールをしているため、結果的にクロールのスピードを競っているかのように見えるだけだ。
これが小さな大会の自由形のレースとなると、 「自分の専門種目ではライバルがいなくて物足りないから、クロールと競って勝負勘をやしないたい」 といったような理由などで、クロール以外の3泳法で泳ぐ選手もたまにいるし、前半はバタフライで、折り返してからはクロールという選手もたまにいる。 当然、失格は取られない。
もし、クロールよりも速い泳ぎ方が開発されれば、自由形のレースだけでなく、「クロール」という泳法自体が消えてしまい、古式泳法に分類されてしまう。 つまり、クロールというのは、泳ぎ方の1スタイルだが、クロールの速さを専門に競う競技は存在していない。
クロールだけでなく、背泳ぎも、平泳ぎも、バタフライも、「自由形の中のひとつの泳法」なのだ。 背泳ぎや平泳ぎやバタフライは、独立してタイムを競っている特種目(特別種目)というだけなのだ。
したがって、自由形のレースで、「背面浮き式息継ぎクロール」をしても失格も取られなければ、見ている競泳選手も何も感じない(「遅いな」とは思うだろうけど)。 失格もなにも、どこまでが「一般的にイメージされるクロール」と言えて、どこからが「背面浮き式息継ぎクロール」と言うのか、という厳密な定義はこの世には存在しない。
なぜなら、 「競泳競技にクロールという種目がないので、クロールという名前ですらルールに定義されていない。競泳競技で規定されているのは、自由形の定義で、そのルールには、(2009年現在で)15M以上潜ってはいけないという制限だけしかない」 からだ。 「背面浮き式息継ぎは禁止、失格」という規定は、どこにも存在しない。 ※※ 参考 ※※ そもそも、「クロールとはこうだ」みたいな固定概念は、競泳選手にとっても、危険な考え方だ。
例えばクロールで言えば、1990年代までは、 「クロールで速く泳ぐには、中心一軸でS字ストロークでなければならない」 という「絶対的常識テクニック」があった。 「中心一軸S字ストロークじゃないから遅いんだ。きれいなS字ストロークじゃないから遅いんだ」 と、よく言われたものだ。
稀に、その基準から外れて速い選手がいると 「あの選手は特別。なんで速いか分からない」 と言われた。
例えば、1980年代後半に活躍し、つい1年ほど前に破られるまで20年近くも守られ続けた世界記録を出したジャネット・エバンス選手も 「手をブンブンぶん回して、汚い泳ぎだけど、とてつもない世界記録を出す。速い理由は分からない。彼女は、特別だ。」 と、当時言われていた。
「クロールの水中ストロークは、体の中心線でローリングしながら、S字に掻いて、フィニッシュを強く押し出す。リカバリーは肘を曲げて前に戻す」 という20世紀末期の絶対常識に、彼女の泳ぎが、どれひとつ当てはまらなかったからだ。 「ローリング」も「S字ストローク」も「肘を曲げてリカバリーする」も、彼女はすべて真逆の動きをしていた。
ところが、そんな絶対的常識テクニックが、21世紀に入って完全に廃れてしまっている。 21世紀になった現在のクロールの常識は、 「ローリングをせずに、手はまっすぐ掻いて、フィニッシュは押し出さないで抜く(ストレートストローク。あるいはI字ストローク)。リカバリーは手を伸ばしてぶん回しても良い(ストレートアーム)」 と言われており、むしろ、ジャネットエバンス選手の泳ぎの方が、現在の選手の泳ぎにずっと近く、ジャネットエバンス選手は、単に20年先取りした泳ぎをしていて、当時は誰も理解できなかっただけであった。
例えば、北京五輪前の2008年4月にNHKで放送された番組の中でも、マイケル・フェルプス選手が、北京五輪に向けてクロールの手の掻きを修正しているという話が出て、 「片側の手は、まっすぐストレートにかけているが、もう片方の手がS字にストロークしていて、このS字ストロークを、まっすぐ掻くストレートストロークに変えられれば、彼はもっと速く泳げるようになる」 と、彼のコーチ(ボブ・バウマン)が解説していた。 1990年代までの絶対的な常識である「S字ストローク」が、「悪い技術の代表例」として紹介され、完全否定されていた。
つまり、 「背面浮き式息継ぎクロールは、遅い」 イコール、"暗に" 「そんな変なクロールをやってはいけない。クロールとはこういうものだ」 といったような、固定概念を子供に刷り込んではいけない。
今の常識は、未来の常識ではない。いずれ「今の常識とは違った常識」が出てくる。
例えば、「背面浮き式息継ぎ」に何かすごい工夫をすれば、世間をアッと驚かせるような速く泳げる新泳法を開発できるかも知れない。 少なくとも、「新泳法のヒント」「新テクニックのヒント」となるものが隠されている可能性は否定できない。
「固定概念によって、可能性を潰す」のは、良くない。 可能性は可能性で、残しておく必要がある。
「絶対的な固定概念がこの世にあるのが、当たり前だ」 といったような間違った思想を、"暗に"刷り込む事は、非常に良くない。
子供の持つ自由な発想の芽を、大人が摘んでしまうのは、むしろ、それは罪だ。 自由な発想をもっと大きく膨らませてあげるのが、大人の指導者がやるべき仕事だ。
そもそも、学校で泳ぐ事を教えるのは、 「溺れないように」 という事が、一番の目的にある。
「体育の授業の一貫だから」といったような事もあるだろうが、それよりもなによりも、 溺れなけりゃ、それでいいのだ。
「船が沈没して海に投げ出された時に、背面浮きで救助を待っていれば助かったのに、クロールをやったがために、息継ぎが出来ずに溺れた」 そんな、馬鹿げた事が"起こり得て良い"わけがない。
「溺れなけりゃそれでいい」という最も大切な事(本質)を、理性的にも、感覚的にも子供が受け入れていなければ、学校体育で泳ぎを教える意味がない。
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