学校水泳 (10) 〜 心理的補助 〜 高橋大和 |
||||
学校水泳なら25M泳げるようになる頃には、当然、いくつかのテスト関門があるはずだが、ここまでの訓練で、もう子供は25Mは楽に泳げるようになっている。 おそらく50Mも泳げる。根性のある子なら、それ以上だって可能なはずだ。
ただ、短期間にやっと泳げるようになったばかりの子供は、まだスイスイ泳げるわけではない。
子供だけに、ちょっとした不安から、 「テストの時だけ急に泳げなくなる」 という子は結構いる。 自分に自信が持てていないからだ。
そんな子供には、オマケをしてあげる。 「25M泳げるか」にチャレンジしている子供の前に、指導者が入って後ずさりするオマケを付けてあげる。
図 10-1
すると、後ずさりしている人間の前の水は、胸元に引き込まれる。 図10-1はちょっと大げさに表現しているが、水がくぼむ事で、子供の頭の前の水も引き込まれて、子供の体ごと引き込まれる。
つまり、泳速が増して、その分早くゴールに到達できる。 (もちろん、単に早くゴールできるだけでなく、泳速が増したり、水流の影響で、沈みかかった体も浮いてくる)
試しに、水に浮かべたビート板の前に立って、後ろに後ずさりしてみるとよい。 物体であるビート板が、勝手にどんどん着いてくるはずだ。
その原理をオマケとして、子供のチャレンジに、所々、付け足してあげるのだ。 これは、インチキでも、エコヒイイキでも、ズルでもない。
オマケで25M、あるいは50M泳げたとしても、本人には自信に繋がる。 子供は、その「自信」を踏み台にして、さらなる成長のきっかけにしてくるはずだ。
「心の弱さから失敗し、さらに自信を失う」 よりも、オマケであっても 「自信を得るチャンス」 を作ってあげる事は、指導者に必要な資質だ。
子供本人に分かるようなオマケは良くないが、子供に分からないように大人がそっとオマケをしてあげるのは、子供の心を豊かにするものだ。 与えてすぐ分かるような「表面的やさしさ」は、心を大きく豊かにする事はないが、長い時間がたった後に、ふと気付く事もあるようなやさしさは、長い時間をかけて熟成された分、気付いた時にぐっと心を大きく豊かにするものだ。
特に、なかなか泳げなかった子というのは、少なくとも「運動神経が抜群に良い子供」ではない。 そんな事は子供であっても、自分でよく分かっている。 よく分かっている分、急成長した自分にすらも、なかなか自信が持てない。
もちろん、心理的に弱い子も、大きくなる過程で 「心の弱さが、頭の中のイメージだけでなく、現実までをもマイナス側に引き込んでしまい、マイナスの結果を生んでいる。自分の弱い心を利用してプラスに転化し、現実をプラスにする方法を見つけられる」 ようになっていく。 そうなるように指導するのが、生徒の先を行く「先生」たる所以だ。
しかし、心が弱くて自信が持てなかった子供が、急にそんな悟りを開くわけがない。
運動神経抜群で、みんなの注目を集めて人気者になって、人気者がゆえに転がり込んでくるオマケがたくさんあるのに、先生までもがオマケを与えるのは余計だが、運動神経が鈍くて自信を持てない子供に、先生すらもオマケを与えないのは指導者の資質に欠ける。
やっと泳げるようになった運動神経の鈍い子供には、先生からのオマケがあってこそ、平等な教育だ。
不器用がゆえに、ここまでの訓練でガボガボと鼻に水が入り、時には肺にまで水が入って苦しい思いをしても、指導者を信じて諦めずにがんばって付いてきた子供には、この程度のオマケの権利が発生して当然だ。
|
||||
|
||||