学校水泳 (10)

〜 心理的補助 〜

高橋大和
2009.09.10

 

 

学校水泳なら25M泳げるようになる頃には、当然、いくつかのテスト関門があるはずだが、ここまでの訓練で、もう子供は25Mは楽に泳げるようになっている。

おそらく50Mも泳げる。根性のある子なら、それ以上だって可能なはずだ。

 

ただ、短期間にやっと泳げるようになったばかりの子供は、まだスイスイ泳げるわけではない。

 

子供だけに、ちょっとした不安から、

「テストの時だけ急に泳げなくなる」

という子は結構いる。

自分に自信が持てていないからだ。

 

そんな子供には、オマケをしてあげる。

「25M泳げるか」にチャレンジしている子供の前に、指導者が入って後ずさりするオマケを付けてあげる。

 

図 10-1

 

すると、後ずさりしている人間の前の水は、胸元に引き込まれる。

図10-1はちょっと大げさに表現しているが、水がくぼむ事で、子供の頭の前の水も引き込まれて、子供の体ごと引き込まれる

 

つまり、泳速が増して、その分早くゴールに到達できる。

(もちろん、単に早くゴールできるだけでなく、泳速が増したり、水流の影響で、沈みかかった体も浮いてくる)

 

試しに、水に浮かべたビート板の前に立って、後ろに後ずさりしてみるとよい。

物体であるビート板が、勝手にどんどん着いてくるはずだ。

 

その原理をオマケとして、子供のチャレンジに、所々、付け足してあげるのだ。

これは、インチキでも、エコヒイイキでも、ズルでもない。

 

オマケで25M、あるいは50M泳げたとしても、本人には自信に繋がる。

子供は、その「自信」を踏み台にして、さらなる成長のきっかけにしてくるはずだ。

 

「心の弱さから失敗し、さらに自信を失う」

よりも、オマケであっても

「自信を得るチャンス」

を作ってあげる事は、指導者に必要な資質だ。

 

子供本人に分かるようなオマケは良くないが、子供に分からないように大人がそっとオマケをしてあげるのは、子供の心を豊かにするものだ。

与えてすぐ分かるような「表面的やさしさ」は、心を大きく豊かにする事はないが、長い時間がたった後に、ふと気付く事あるようなやさしさは、長い時間をかけて熟成された分、気付いた時にぐっと心を大きく豊かにするものだ。

 

特に、なかなか泳げなかった子というのは、少なくとも「運動神経が抜群に良い子供」ではない。

そんな事は子供であっても、自分でよく分かっている。

よく分かっている分、急成長した自分にすらも、なかなか自信が持てない。

 

もちろん、心理的に弱い子も、大きくなる過程で

「心の弱さが、頭の中のイメージだけでなく、現実までをもマイナス側に引き込んでしまい、マイナスの結果を生んでいる。自分の弱い心を利用してプラスに転化し、現実をプラスにする方法を見つけられる」

ようになっていく。

そうなるように指導するのが、生徒の先を行く「先生」たる所以だ。

 

しかし、心が弱くて自信が持てなかった子供が、急にそんな悟りを開くわけがない。

 

運動神経抜群で、みんなの注目を集めて人気者になって、人気者がゆえに転がり込んでくるオマケがたくさんあるのに、先生までもがオマケを与えるのは余計だが、運動神経が鈍くて自信を持てない子供に、先生すらもオマケを与えないのは指導者の資質に欠ける。

 

やっと泳げるようになった運動神経の鈍い子供には、先生からのオマケがあってこそ、平等な教育だ。

 

不器用がゆえに、ここまでの訓練でガボガボと鼻に水が入り、時には肺にまで水が入って苦しい思いをしても、指導者を信じて諦めずにがんばって付いてきた子供には、この程度のオマケの権利が発生して当然だ。