平泳ぎのタッチ (3)

〜 蹴り上げテクニック 〜

2008.05.01

  

 

タッチが流れて失速しそうな時、平泳ぎ以外の種目なら、キックを入れて、失速を最小限に抑えることが出来る。

しかし、平泳ぎでは、タッチが流れたからといってドルフィンキックを入れるわけにはいかない。

 

図 3-1

 

しかし、実際には蹴り上げるだけなら、許される。

許してはいないが、禁止もされていない。

平泳ぎキックの一連動作上で蹴り上げれば、タッチに入った後の体が伸びきった後にも、わずかながら蹴り上げの推進力を得て、失速を抑える事が出来る。

「タッチが流れた」という事は、キックを蹴って、体が伸びきった状態になっているはずである。

蹴り終わってまだ、壁に手の指が到着しないのなら、足の裏に掴んだ水をそのまま蹴り上げて推進力を得れば良い。

もちろん、明らかなドルフィンキックは失格であり、平泳ぎのキック動作完了後に、

「下へ足を打ち込み、上へ蹴り上げ」

れば、それはドルフィンキックであり、失格を採られる。

だが、平泳ぎキックの一連動作の一環で蹴り上げているのならルール上グレーゾーンであり、

「平泳ぎのキックの蹴り上げ動作」

の中で足を蹴り上げ、「ドルフィンキックの蹴り上げ」に見えなければ、問題はない。

具体的には、「タッチが流れる」と分かった瞬間に、腰を使ってやや深めに上半身を頭ごと突っ込んでタッチに入り、体が伸びきって失速しそうなら、さらに上半身を反る方向に力を入れて、足の裏を使って水を蹴り上げて推進力を得て壁に到着すれば、失速を最小限に抑えることができるわけだ(水面上に足が出れば失格なので注意してほしい)。

図3-1は、少しおおげさに描いてあるが、実際に「蹴り上げ」た推進力を生かすにはエビ反るような動きになる。

また、これは少しずるい思考なのだが、審判が見ているのは手の指を見ている確立が高い。

審判は一人で複数のコースを見ており、ひとりひとりの細かい動きまではチェックできるはずがない。

審判の心理状態を考えると、平泳ぎのゴールタッチでは、

「両手が同じ高さで水平になっていて、両手が同時にタッチ板に付いたかどうか?」

というルールを一番気にしているはずだ。

審判は、次々にタッチしてくる複数の選手の指を見ているので、足の動作にまでは気が回りにくいはずだ。

仮に、審判が何か足の動きに不穏なものを感じたとしても、一瞬の出来事では「失格かどうか」までは判別できないはずだ。

ましてや、「蹴り上げ」テクニックは、通常の水泳本に書かれているようなテクニックでもなければ、コーチや選手間で一般的に言われているテクニックでもなく、私個人が考えたテクニックであり、必ずしも"平泳ぎのスペシャリスト"ではない審判が、足の動きに不穏なものを感じたとしても

「何か変なゴールタッチ姿勢だった」

とは思っても、それが

「グレーゾーンの蹴り上げテクニックである」

と瞬時に判断できるはずもない。

もちろん、真横から全選手の泳ぎをチェックしている審判もおり、足の動作も見られているはずであるが、手を見られている確率に比べれば、最後の一瞬の足の動きを「失格かどうか」と見られている確立の方がずっと低いはずだ。

世界大会のようにビデオ映像でチェックされるような大会なら細心の注意が必要だが、国内大会やマスターズ程度の大会で、ゴールタッチの瞬間の足の動きまでは見られていないはずなので、それほど、ビビる必要はない。

このような思考は

「卑怯だ。スポーツマン精神に反する」

と思うだろうが、私が言いたいのは、

「審判の目をごまかすような技を実際に使うかどうか」

という事ではない。

自分の信念やスポーツに対する取り組み方として、このような事が許せない事であるのなら、やらなければ良いし、信念を曲げてまで勝利へ執着する事は間違いだ。

私が言いたいのは、水泳を突詰めていく時に、ただ単に泳ぎの技術を"どう""こう"するだけでなく、ライバルの心理状態はもちろんの事、ルールや審判の目、審判の心理状態にまで目を向ける「思考」をしてもらいたいのだ。

例えば、ミューヘンオリンピック100M平泳ぎ金メダリストの田口信教さんが開発した「田口キック」もルールブックを読み込んだ上で、ルールの隙を突いて開発されたものだ。

私が高校時代に田口信教さんに会った時

「君たちはルールブックを読んだ事があるか?」

と質問された。

「スタートを速く飛ぶ方法もルールブックに書いてあるんだぞ。

審判は、選手が全員構えたら、ピストルを鳴らすとルールブックに書いてある。

つまり、自分が一番最後にゆっくりスタートを構えれば、審判は、"まだか、まだか"と待つ事になる。

そこで自分がやっと構え終われば、審判が自分にスタートを合わせざるを得なくなる。

そうなれば、スタート音を聞かないで飛び出しても、フライングを採られる可能性は低くなる。

私はスタート音を聞かずにスタートしてたのだから、世界で一番速くスタートを飛び出せて当たり前だ」

と、言われてしまった。

(1980年代半ばまで、スタートのやり直しは3回までOKであった。俗に言う「スタートを引っ掛ける」事が出来たが、現在は、スタートのやり直しはないので、このテクニックは使えない)

他にもいろいろ言われたが、「世界新記録保持者」「金メダリスト」ですら

「そこまでして」

いるのだ。凡人がそこまでして"いない"のであれば、「才能ある、そこまでしている人間」に敵うはずがないのだ。

そこを私は言いたい。

「思考して何かを考え付いた結果、それを使わない」

事と

「思考もしてないから、使っていない」

のでは、まったく違う。

"とあるテクニック"を「使っていない」という結果は同じでも、その中身がまったく違う。

「物事は、結果ではなく、過程を問うものだ」

と言われる所以だ。

他人が考えないような事まで考えてこそ、凡人にも勝つチャンスが生まれるのだ。