自由形 (9) 〜 リカバリー 〜
2011.07.30 |
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■ 加速位置とタイミング 『フィニッシュ!で加速する事を目指したS字ストローク』は、 重心(骨盤)を通り越した太ももまで手を引っ張り、ヘソから下のストローク終盤でチョコチョコ泳ぐフォームであり、 これは、『腕力でプールから上がろうとして上手に上がれない人が使う体の使い方と同じ』である事は、第5章で指摘した。
『顔から胸の辺りまでで加速してしまうI字ストローク』の場合は、 『フィニッシュ!で加速する動作』はなく、骨盤の所でサッと手を抜いて、さっさとリカバリー動作に移る。
I字ストロークでは、ストロークの前半部分に加速領域があるので、ストローク終盤でモタモタやっているのは時間の無駄である事は、 『プールからサッと上がる人は、ストローク前半で加速した勢いがある内に次の動作に移行して足を引っかけ、水からチャッチャと上がってしまう。 モタモタと手を太ももまで引っ張っても、失速して、足を引っかけるタイミングを失うだけ』 という動作でイメージできたと思う。
この技術転換を車で例えれば、駆動方式がFR(後輪駆動)からFF(前輪駆動)になったと言える。
■ ストレートアーム 今では、自分のやりやすいように戻せば良いだけのリカバリー動作でも、 『ローリング動作を伴った中心1軸S字ストロークの時代』には、プルのリカバリー動作にまで常識が存在していた。
『肘を曲げて、手の先が出来るだけ体の近くを通るように戻す』というやつだ。
ただ、この古い常識が日本からなくなったのは意外に最近の出来事で、2007年以降の事だ。 きっかけは、佐藤久佳くんの登場だ。
彼は2005年、ジム・モンゴメリーさんの49.99から遅れる事、実に30年目にしてアジア人初となる50秒の壁を突破した。 (すでに世界は、高速水着のない2000年に、47秒台へ突入してたけど・・・)
この2005年当時、日本人にとって長水路100M自由形49秒台は、 『あの!ローディ・ゲインズと並んで泳げる日本人が、本当に出てきたのか!』 という、とてつもなく大きな衝撃を与える偉大な出来事だった。
彼が水泳部の後輩だから、持ち上げているわけではない。 当時の衝撃は、『北島康介 世界記録、2004年アテネ五輪二種目金メダル』にも匹敵する強烈なインパクトがあった。
実際、それまでの日本記録が、51秒の壁を1994年に松下幸広さんが50.98で突破してから、1秒を縮めるのに11年(2005年7月に50.07)、延べ9人がかりで50秒の壁にゆっくりと迫っていったのに、 インカレ初日第一レースの400Mリレー予選、大学1年生の第一泳者があっさりと出した記録が、50秒の壁を大きく越えて49.73であり、(2日後の100M自由形決勝で49.71) 彼の49秒以降、50秒の壁を突破する日本人がぞくぞくと続いた破壊力が、そのインパクトの強さを物語っている。 ※ 備 ※ 自由形を専門としていなかったからこそ、自由形オンリー選手が長年悩まされてきた50秒の壁を軽々と越えらた理由のひとつになったといえよう。 (ただ、個人メドレーの選手として出場したインターハイでは、優勝した400Mリレーでアンカーを務め、決勝全体の最速となる50.31で引き継ぎ、800Mリレーでも決勝全体でただ一人1分49秒台で引き継いでいる事から、元々自由形が得意であったのは確かで、高校3年になる頃から急速に自由形が強くなっていたのだと思います。また、インターハイの出場には、個人種目2種目以内という制限があり、200、400M個メに出場している佐藤君が、自由形にエントリーする事は出来ません)
この時の佐藤久佳くんの泳ぎは、 『頭を水中に突っ込んだまま泳ぐクロール』 で、当時は妙な泳ぎに見えた。
『あれ?佐藤くんの泳ぎって、ずいぶん沈んでね? クロールってさ、もっとモーターボートみたいに頭とか体が持ち上がってないと速く泳げないよね? なんで、佐藤くんは頭が水没したまま泳いでるわけ? 背中も水中に沈んだままだし、そんな深い所を泳ぐ妙な泳ぎで、なんで49秒!!なの?』 と、競泳人の多くは感じた。
そう、この時、日本の競泳界は、 『モーターボート泳法の時代も、S字ストロークの時代も終わった』 と、佐藤久佳くんの偉大な記録をもって最後通告され、一般の選手たちも認識を改めざるを得なくなったわけだ。 それが西暦2005年、2005年の出来事なのだ。
『人間は、それまでの常識を否定されると、自分の過去を否定されたように感じて拒絶し、反発するための言い訳に脳みそを使ってしまって、身近な誰かが結果を出して見せるまで、考えようとしない』 そういうものだが、結局損をするのは、誰でもない、自分だ。
それからたった2年後の2007年、『偉大な佐藤久佳』という看板が、手を伸ばしたままリカバリーするフォームに改造して48秒台に突入した事で、 『リカバリーは肘を曲げなければならない』という古い常識がなかったかのように、世間はあっさりと捨て去る事が出来た。
この時から、『ストレートアーム』という言葉が一般的に使われるようになったわけだが、1988年 ジャネット・エバンスが泳いで見せてから20年が経っていた。
2007年インカレ 100M自由形決勝 (2011年7月現在、高速水着なしで48秒台を出した日本人は、この時の彼だけ)
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