逃げ出した君たちへ


悔しいでしょ。
惨めでしょ。
腹が立つでしょ。

 

でもね、恥じる必要はない。
自分を大切にするってとても難しい事だから、逃げ出した君は立派なんだよ。

君はすでに気づき始めているかもしれないけど、「逃げる」、それは選手としてとても難しくて高度なテクニックだ。

君の心が感じている通り、前向きになら苦しくたって攻められるけど、後ろ向きの選択をするのはとても難しい。

 

自分の人生よりも大切なものはこの世には存在しないし、誰にとっても人生は大切なものだから、自分を大切に出来るって、と ても大切で素晴らしい事なんだ。

逃げ出した君は、自分を大切にしたのと同時に、まだ出会った事もない他の誰かも大切にしたんだ。

 

君は自分が負け犬だと思ってるだろ。
でも、それは間違い。

「プールの中で速さを競って勝ち負けを決めるのが競泳だ」と思っているだろ。

でも、違うんだ。

それは競泳の一面でしかない。

 

練習している君、レースをする君、勇気を持って休んでいる君、惨めに逃げ出した君、社会で働き始めた君、家族と日常を楽しむ 君、苦しい時期をひっそりと耐え忍んでいる君

これ全部、競泳なんだ。

 

10円玉には、表と裏がある。

表を知り、裏を知って、もう一度表を見た時、10円玉には裏側以外に「高さ」がある事に気付く。

表と裏を繋いでいるその「わずかな高さ」こそが、10円玉に奥行きを作り、重みを与えている。

 

君たちはまだ気づいていないけど、競泳は、スタイルを競っている。

「君の生き方そのものが競泳」で、競泳は、生き方を競ってるんだ。

 

勝った時だけじゃない。

負けた時の生き方も競ってるんだ。

そこにこそ競泳の重みが隠れていて、大切なものはいつも、目には見えない。

 

「もう終わったな」と君が思っていても、君の競技人生はまだ、続いてるんだよ。

逃げ出した今の君は、自分を恥じて、苦しんでいると思う。

でも、それこそが競泳なんだ。
逃げ出した今こそ、競泳の本質に迫る絶好の機会なんだ。

 

君が今感じている苦しみは、「死ぬほど辛くて苦しい練習」や「レース中盤で味わう苦しさ」とまったく同じ「競泳」の1シー ン。

「競泳は、自分の人生そのものなんだ」と気づいた時、君の泳ぎに「君だけの競泳スタイル」が現れ始める。

 

競技人生を賭けたレースで負けた選手の泳ぎを見た事があるかい。

勝って喜ぶ。

そんなの普通さ。誰が泳いだって、同じ反応をするし、さんざん見てきたよ。

 

でもね、そんな重要なレースで負けて、自分の負けレースに納得して笑顔を見せる選手が僅かながらにいる。

みんな勝つために必死にやってるんだから、負けた時の美学なんて、めったに見れない。

 

今は理解する必要はない。

競泳には定年もないし、引退もないから、気が向いた時にまた、プールに戻って来ればいい。

 

約束する。

その時の水泳は、それまでの水泳とは全く違っていて、君らしい泳ぎを表現する一歩になる。

 

大丈夫。焦る必要はない。

君の寿命はもう少し先だ。

いつでもいい、ひっそりでいいからプールに戻って、水に流してしまえばいい。

 

保証する。

次に逃げる時は、もっと上手に逃げられる。

逃げる君のその後ろ姿に、君が知らない所で、知らない人が勇気をもらって立ち上がろうとするよ。

2017/01/01