事件簿

旭化成サービス海パン事件
 中一の夏である。当時、旭化成のベンベルグ工場前に旭化成プールというのがあり(今は駐車場となってしまった)、そこでよく試合があった。ある試合の昼休みに俺と上岡で競泳用水着のまま、それイッチョで近くの旭化成サービス(旭化成の経営していたスーパー)に「昼飯を食いにいこう」と盛り上がった。我々は水着のままチャリンコに乗って旭化成サービスに向かった。坊主頭の2人はみんなの注目の的であることに、もうそりゃーウキウキ気分で旭化成サービス内を物色し昼飯を食った。その旭化成サービスに近い恒富中学に通っていた上岡は、次の日ヒーローになったそうだ。

旭化成プールカツ丼地獄
 福岡での西日本年齢別選手権の帰り、バスの中で晩ご飯を食うことになった。全員にホカ弁のかつ丼が配られ食った。余分に買ってあったので余ったやつは3年生の特権で我々がばくばく食った。みんな大食いなので死ぬほど食った。しかしそれがたたってバスで酔いまくった。次の日、うれしいことに旭化成プールの掃除だった。ボランティアだが練習が休みになるので本当にうれしい。掃除が終り、旭化成の古賀さんという人が「お〜い。みんな飯だぞ〜」といった。プール掃除のお礼にいつもご飯をご馳走してくれるのである。もううきうきのりのりである。喜んでいくとそこにはカツ丼が並んでいた。「いくらでも食っていいぞ。おかわりしろ」と言ってくれたが3年生はみんなまずそうに食っていた。

日本初のドライブスルー
 ひょっとすると我々が日本初のドライブスルー体験者かもしれない。田舎の休日はすることがない。しかも中学生には金もない。マイカーのチャリンコに乗ってブラブラするだけである。延岡のちょーオシャレな食い物屋は当時、アズマヤの隣にあった延岡唯一のファーストフード店、ロッテリアしかなかった。マックなどは今でもない。そのロッテリアにチャリンコに乗ったまま入っていき注文して出てくるという遊びをよくした。今思えばドライブするーというのだろう。

安藤「4本目は〜」事件
 練習をサボると当然のようにぶっとばされる富岡先生に、練習をサボっている事がばれることは何としても避けなければならない。それは上級生である3年生の使命でもある。しかし、ただでさえきつい練習が待っているというのに、富岡先生の来る前の5時前に練習などやってられない。しかし、富岡先生は5時に来ると全員、水の上にあげて、5時までの練習結果の報告を受ける。練習にダッシュなどがあるとその1本1本のタイムを一人一人聞いてくる。みんなサボっているので当然、うそのタイムを報告するわけである。その日は100Mを3本やったのでみんな「1本目は何秒。2本目は何秒。3本目は何秒」とうそで固めたタイムを答えていた。ところが同級生で、しかも3年生でもある安藤に順番が回ってきたときである。「1本目は〜・・・」みんなふむふむとすました顔で聞いていたそのとき、なんと奴は「4本目は〜」と言ったのである。サボっていたのがばれた瞬間である。3年生を始め、全員の顔色が真っ青になったのは言うまでもない。心底怖かった。しかし、富岡先生は「安藤は4本目もあるのか」と笑って許してくれた。当時、一生懸命、中学生の頭で隠し通せていると思っていたサボリだが、今思うと富岡先生は始めっからそんなことはわかっていたのだろうなあ。なんと心の広い人なのだろう。

「あした!」事件  (2004.11.4追加)
 明日事件ではない。延岡スイミングでは練習が終わると全員プールに整列し、プルールと今山の墓地へ向かって「ありがとうございました」と挨拶をする。今山の墓地には先代のコーチ(富岡先生が選手時代のコーチ)の墓がるらしい。富岡先生はその恩を返すためにボランティアで教えている(立派です。中学生時代を反省し頭が下がります)。

そんな恩のありがたみは中学生のクソ坊主には分かるはずもなく事件は起きた。

練習後の正しい挨拶の号令はこのようになる。

「気をつけ!黙想!(約5〜10秒黙想。心を静める)。やめ!(目を開ける)。(プールに向かって)ありがとうございました!(今山の墓地へ向きなおしてからもう一度)ありがとうございました!」

とキャプテン及び3年生男子の持ち回りで掛け声をかけ、それに続いて「ありがとうございました」を全員いうことになる。

われわれクソ坊主はこのような毎日のあいさつに退屈さを感じていた。持ち回りの3年生で井戸端会議をしていた時

「このあいさつをどこまで変形してOKなのかやってみよう」

という案が浮上した。次の日からキャプテンともども工夫した。

「気をつけ!黙想!(3秒)。やめ!ありした!ありした!」

成功だった。日に日に「黙想 - やめ」の間が短くなり、全体も早口になり「ありがとうございました」が聞き取りにくくなっていった。全員に順番が周り、最後の安藤の日になった。

「気をつけ、もくそやめ、あした、あした」

(黙想をもくそと言った挙句0秒でやめた。もくそやめ。あげく全部早口)それに従う3年生は全員心の中で

「ばか!安藤やりすぎだよ。」

もちろん、富岡先生に

「やりなおし!」

と怒られた。

K作戦
 
これも中3年の夏である。全国中学の直前に西階(にししな)運動公園で市民水泳大会があった。小さい大会でもあるため、私を含め3年男子はみんな専門外の200M個人メドレーにエントリーしていた。試合当日、私たち3年生は前日の土曜ロードショーで見た太平洋戦争の映画の話でもりあがった(たしかミッドウェイ開戦だったと思う)。真珠碗攻撃開始暗号「ニイタカヤマノボレ」など男としてなんともおもしろかった。その映画に作戦名「A作戦」というのが出てきた。それに触発されたわれわれ3年生は今日の試合で「K作戦」をやろうとノリノリになった。K作戦とはこうだ。出場する個人メドレーで「バタフライは潜水でいく、バックとブレストはながす。そしてフリーのタッチは片手でタッチ板をさわり同時にもう一方の手はガッツポーズをする(これはロサンゼルスオリンピックでゲインズがやったあこがれの業である)」というものだった。作戦でもなんでもないが、そんな事はどうでもよかった。「K作戦を実行しようとしている」自分達に酔いしれていた。

召集所ではもう俺たち3年生は「K作戦」に酔いしれ、興奮ぎみ。みんなでスタート台に上がる前にK作戦実行の合図である「親指をぐいっと突き立てて」作戦開始の合図(田舎なので出場者が少なく全員同じ組のタイム決勝)。そしてK作戦は実行された。もうK作戦成功にわれわれは酔いしれみんなでダウンをしていた。

しかし、われわれのお調子もここまでであった。ダウンをしていると鬼の形相の富岡先生がやってきた。きょぇ〜ものすげーおこっちょる。時すでに遅し。みごと全員ぶっとばされた。一転みんなのテンションは下がったことはいうまでもない。

コブラ事件
 これは延岡スイミングではなく、延岡市の話である。西階(にししな)運動公園で世界の珍品動物のような感じのイベントがやってきた。小学校6年ころだったと思う。そこにやってきたコブラが逃げたのである。当初1匹と発表されたため、その1匹がつかまって安心していたらあと2匹いなくなったといいだした。草むらは焼き払われたが結局見つからなかった。コブラは日本の冬は越せないということで死んだだろうということで決着してしまった。西階運動公園プールで毎年試合があったのだが、その1年はもちろんキャンセルされた。コブラが今でも繁殖してるかもしれない?なんてところは日本にそうはないでしょ?

アポロ病事件
 これも延岡市の話。アポロ病なんて知らないでしょう?私の世代の延岡市民なら知ってるはず。出血性結膜炎のことだ。中学2年のときに延岡で大流行した。幸い私はかからなかったので普通の結膜炎とどう違うのかわからない。あやうく延岡市民は県大会出場停止になるところだった。そうなれば私も全国大会初出場は出来なかった。しかしなんでアポロ病っていうんだろう?アポロチョコと関係があるのだろうか?