目には見えないレースの世界

 




競泳人生で一度だけ、僕は自分の能力を限界まで引き出した事がある。

それがこのレース。

宮城国体 50M 平泳ぎ 決勝


「晴れた日に、一番端の8コースからスタートで抜け出して、表彰台に上がる」

この粗筋プランを実現するために国体の3年前から準備を始めた。


「決勝に進んでくるはずの選手たちを予測して研究する」

のは当たり前にやって、宮城のこのプールに練習、レースに通い、

トイレの位置から時間帯による混み具合、

プールの底にある「板の色」や「ビスの位置」の違いによるコースごとの癖、

事前に知り得る情報はすべて頭に叩き込んでイメージ化した。


どのコースを泳ぐ事になっても、正面のゴールに顔を向けて失速する事なく、

ゴールまでの距離を色やビスの位置で把握できるまでになって、

あらゆる想定外を想定して、勝ちに行った。


特に、予選で泳ぐ事になるはずのセンターコースと、

決勝で泳ぐ事になる8コースは入念に3年間、

現地と、僕の頭の中で何度も何度もシミュレーションを繰り返して作った。


そのレースイメージは、僕が1番なのか3番なのか、タッチの部分だけが唯一不鮮明なんだけど、

何度イメージし直しても僕が表彰台の上にいる所で再生イメージが終わる。


50mBRceremony


もちろん、こんなに鮮明でポジティブなイメージが出来たのはこの時が最初で最後で、

実際に起きた現実の方も、僕の頭の中にあったレースイメージと細部まで同じ。


これはとても不思議な感覚世界の体験なんだけど、

世間でいう言葉で表現するとすれば、僕はあの時、ゾーンに入った。


精神的に弱い僕が決勝レースをセンターコースで戦えば、

周囲からのプレッシャーで確実に自滅する。


ポジティブ思考とは反対の、陰鬱で後ろ向きに生きる僕にとって、

勝つために残された唯一のチャンスは、

「予選をひっそりとビリで通過し、強豪選手たちがセンターコースで激突し合っている間に、外の8コースからの先行-押し切り策で、ひとりゴールへ猛進す る」

逃げ切るのではなく、ひとり猛烈に押し切ること。


10コースのプールで8人決勝なら、僕が8コースでレースを展開しても、

プール側面から来る返し波の影響は受けないし、

端に寄り過ぎたとしても手や足が壁 にぶつかる事もない。


ただ僕は、全国大会の予選を流して決勝に進めるほど、速くはない。

だから当然、初日の予選から迷うことなく全力で泳いだよ。


宮城国体 50M 平泳ぎ 予選



「渡辺健司の横だけは泳ぎたくない」

と思っていたのに、よりによって予選は東京都代表の渡辺健司さんの隣り。


なんでこうなっちゃうのかすごく不思議なんだけど、結果は、同タイムで同着。

反対隣で泳いで全体9位の補欠1となった山口県代表の田中直樹さんとの差は0.01秒で、

僕はギリギリのビリ残りで決勝に進んだ。


50BRresult_Heat


タッチ板は1/1000秒まで測ってるんだけど、

プールの精度などを考慮して1/100秒までで競う事になってる。


僕と渡辺さんは同タイムで同着なんだけど、1/1000秒では僕が負けてるから、

決勝のコース順は渡辺さんが7位の1コースで、僕が8位の8コース。


驚くでしょ。


僕は1/1000秒の世界で7位と9位の間に滑り込み、

決勝の舞台では苦手な渡辺さんと一番遠くに離れた位置取りで、

イメージ通りの8位ビリ通過。


こんな事、普通、都合よく起きないでしょ。


※※※  [日大豊山高校  平泳ぎ最強時代]  ※※※
僕が渡辺健司さんと一緒に泳ぎたくなかったのは、高校時代の複 雑な思いがあったから。

渡辺さんは僕の1つ上の先輩で、僕も渡辺さんも当時、日大豊山 高校のブレスト4枚看板のひとり。

卒業して10年以上たったこの宮城国体 平泳ぎにも4人の内の3人が 出場していて、僕と渡辺さんの2人が決勝に進んでる。

豊山って、OBも強いでしょ ^_^


インターハイには「1つの学校から3人しか出られない」という ルールがあって…まぁ、僕には複雑な思いがあったの。

こっちは必死こいてやって、全国中学5番。

向こうは楽々優勝で、中学3年生にしてロス五輪代表。

僕のヒガミだね。


ヒガミの気持ちから、僕は高校までで水泳をやめちゃったの。

僕の性格は田舎の大将で、周りからチヤホヤされ、調子こいて 速くなるタイプ。

それが日大豊山では、全国中学優勝、2位、3位がゴロゴロいる し、渡辺さんみたいに現役のオリンピック選手までいるわけだから、僕の5位なんてぜんぜん大した事ないのね。

自分が普通の選手なんだと思い知らされちゃうと、無意識に萎縮 しちゃって僕は実力を発揮できない。

だから、渡辺さんの隣りでは泳ぎたくなかったのに、卒業から 10年以上経っても、1/1000秒の世界にその因縁が凝縮されて続いてるんだから、そりぁ誰だって、自分の気持ちに決着を付けたいでしょ。


ちなみにメドレーリレーの予選まで、渡辺さんの隣でした。

宮城国体 200M メドレーリレー 予選

渡辺さん、生きている内に話をしておきた かったです。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


何事にも博打を打てない僕は安全にスタート音を聞いて反応してるから、

いつもスタートが出遅れるんだけど、今回のこのレースだけは違う。


決勝レースを待つ召集所でも、スターターの癖を直前まで確認し、

これから始まる決勝のスタートタイミングを体にセットしてから入場。


「ビリ通過なんだからフライングを取られて失格しても悔いなんかない。怖くても今回だけは絶対に仕掛ける」

と自分に強く言い聞かせて、競泳人生一回きりの大勝負をかけて、

苦手なスタートを迷うことなく全力で蹴った。


グワッという浮上音が耳に入ってくるのと同時に1ストローク目が始まって、

息を吸い込むのと同時に、頭の中で反響した「うぉーーーー」という音が喉から肺へとあふれ出し、

腰のバネからキックを伝って、後方へと吹き出していった。


次の記憶は残り7Mの所で、「絶対負けたくない!」と思ったシーン。

呼吸で水上に出た僕の胸の前に、水面に横たわった円筒の太い空間がゴールに向かって

まっすぐ伸びている感覚があった。


「視覚」というよりも「視覚を含めた全身の感覚」で見えた。


「いくぞ!」という感覚が、僕の体をグワッと押し広げて、

その中をグイグイとゴールに向かって押し込んでいった。


タッチした記憶はない。


ゴールして振り返った電光掲示板に自分の名前を探すと「3」の数字が見えて、

「俺は3コース、じゃないし・・・あれ、何コースだったっけ、俺?何番?」

と、最初は理解できずに混乱した。


50BRresult Final


もう一度見直して「3」の意味が分かると、

「勝った…やり残した10年に勝った」

その気持ちが、うわっと胸に溢れてきて、僕は初めてレースで泣いた。


この日の天気予報は「台風で雨」だったんだけど、

実際は僕の頭の中にあった晴れのイメージ通りに、晴れ。

メドレーリレーで優勝した次の日も、晴れ。

結局、台風が来て雨が降ったのは、僕のレースが全て終わったあと。


「心技体」

それは「偶然」を「必然の世界」に引き込んだ時に起きるとても不思議な時空間。


これが、僕の競泳人生最高のレース。


※※※  [リレーで勝つ難しさ]  ※※※
実は、この話には縁が絡んだ、どう考えても不思議な話が付随す る。

国体リレー優勝は、茨城県史上初の出来事で、僕らは1年間、あ ちこちのイベントに呼ばれて褒められた。

僕は翌年の国体で旗手まで務めさせてもらったりして。

宮城国体 200M メドレーリレー 決勝

リレーは個人種目とは違って、同じ時代に同じ場所で4人が同時 に速くないと勝てないから、

層の厚い大都市圏以外で、4種目の4人が揃って実際に優勝にま でこぎつけるのはすごく稀なことなのね。

実際、4人のベストタイムの合計は国体当日でも神奈川県より1 秒以上遅くて、距離にすれば2Mにもなる1秒の差は、普通に泳いでたら絶対にひっくり返えらない。

僕ら4人はレースのずっと前からその事に気付いていて、そのレ アな状況を逆に利用した「作戦」で優勝を手にした。


目に見える分かりやすい結果としては、国体の半年前から集まって準備し た「引き継ぎの早さ」で計1秒の穴を埋めたんだけどね、

実際は、目には見えない心理戦をチームで仕掛けていて、国体当 日、周囲をチーム茨城の土俵に一気に引きずり込んで「勝てるレース」を作って勝った。

だって、2位の神奈川との差は0.08秒だよ。


200mMR


1秒差は99%が実力差だけど、0.08秒は、99%、 「運」。

どちらが勝ってもおかしくない状況では、偶然の「運」を必然に した側が勝つ。

僕らは実力差を「引き継ぎ」で埋め、心理戦で運を引き寄せて 優勝した。


この優勝メンバーの岡田禅さんと僕は台風の中、遅延する電車に 乗って茨城に帰った。

家について、久しぶりに見たテレビには、ビルからモクモクと煙 が出ている映像が流れていて、そう、この日は2001年9月11日だったんだけど、オチはそこじゃない。


南千住にある汐入は東京の下町だったから、戦後、家を建て替え る時に近所の庭に仮屋を建てて住むなんて事も普通にあった。


戦争を生き抜いた仲だもん、そんなの当たり前。

そうやって育った子供たちが大人になって結婚し、福岡に住む人 もいるし、宮崎に住む人もいる。

そのまた子供たちが水泳を始めて、筑波大学で水泳をする事もあ るし、東京の日大豊山高校で挫折して水泳をやめちゃったりもする。

宮崎で水泳を始めた方が、東京で水泳に挫折し熊本の大学に行っ て、大阪の会社を辞めて埼玉でブラブラしてたら、筑波大学でSEをするようになる事だってあるでしょ。

10年前の挫折に区切りを付けようと、国体目指して水泳を再開 しちゃったりもするじゃん。

そしたら、国体で優勝なんかしちゃうでしょ。

そんな話、よくあるじゃん。

そのリレーでフリーを泳いだのは福岡出身の筑波大学水泳部OB の方だったなんて、普通でしょ。


でも、僕も岡田さんも30年間、お互いの接点が全くなかったから、自分たちの母親がかつて一緒に住んでい た事があって、お互いのおばあちゃんたちは死ねまで南千住で下町付き合いをしていたなんて、知らなかったんだよ。

僕ら2人だけじゃなくて、母親たちも、おばあちゃんたちも知ら なくて、国体優勝から3年後、たまたま生きていたおばあちゃんと話していて分かった事なんだよ。

だって、そんな奇妙な話、普通、誰も気付か ないでしょ?
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もちろん、誇らしい結果は、人生のいい思い出よ。

「よくやったよ、俺」って、胸を張って誇れる。


でもね、競技としての最高到達点、そこはゴールじゃない。

そこからも、それから先の続きがある。



これは、先月の泳ぎ。

長水路 50M平泳ぎ 7ストローク (2018.03.03)


レースなのに、ひとり気持ち良さそうに泳いでて笑えるでしょ。


そう、泳ぐ事は、勝ち負けを抜きに楽しい事で、僕は泳ぎの楽しさを技術で表現したかった。

楽しんでいるからこそ、競う事に価値がでる。

この泳ぎで多くの人が笑ってくれたんだもん、今回はそれができた。



ダルマ浮きすら出来なかった僕が、宮城国体の後に取り組み始めた「伏し浮き」が出来るようになるまで9年。

伏し浮き (2010年)


「静」の世界にある「伏し浮き」の技術を、「動」の世界にある「泳ぎ」にどうやったら取り込めるのかさっぱり分からない期間が約4年。

蹴伸び (2009年)


伏し浮きの静止技術を泳ぎに繋げられるようになったのが、ここ2年。

15年を超える取り組みで、やっと到達したのがこの泳ぎ。


ゆっくりとした動作だから、技術的に高いレベルで泳いでる「技」が、

1ストロークごとにしっかり見えるでしょ。


速さもなけりゃ、勝ち負けもない世界なら、

宮城国体の泳ぎをはるかに上回る技術的完成度が見えるでしょ。



九州で圧倒的な強さをほこった中学時代も、

国体で表彰台に上がった時も、

マスターズで日本記録を出した時も、

あれは「勝ちたい」という表面的にはポジティブに見える気持ちから組み上がってできた、戦う泳ぎ。


でもこの泳ぎは、水の動きと融合することで水の流れに溶け込んで、人とも、水とも、戦わない。


水の動きは人の心とよく似ていて、こちらが前に出ようとすれば、強い抵抗を示して反発してくる。


ところが反対に、自分の体の方を水の動きに合わせて反応させると、

水は浮力で僕の体を補助してくれるし、水の流れで体のラインをまっすぐに支えてくれる。


水からの抵抗に素直に負ける事で、これまで僕に抵抗していた水が、

体を前に送り出す力へと反転する。


タイムや勝ち負けといった「結果」に眼を奪われると、まるで

「速いからすごくて、速くないなら価値がない」

かのような歪な価値観に結びついちゃうでしょ。


目標を達成したから引退

ベストが出ないから引退

みたいな。


でも、どっちのゴールも、そこじゃない。


もしそれが人生に対する価値観であるならば、

「下り坂の人生に意味はない」

「価値がなけりぁ、生きる必要もないから死ぬ」

という発想と本質的に同じになってしまう。


人間は「結果の奴隷」じゃない。

人間が「結果の支配者」なんだ。


結果の良し悪しに左右されて生き方を曲げちゃったら、

僕らは「結果」の奴隷に成り下がってしまう。


結果は生き物じゃないのに、

生きているのは僕らの方なのに、

結果の奴隷になるなんて、僕は絶対に嫌だ。


もし、立ちはだかる壁を越えられないなら、

もし、ピークを過ぎて下るだけの道ならば、

歩み続けるだけで、それは強さだ。


弱い立場にいる人間の、強さだ。


裏の裏は表だけど、その表には奥行きがある。

充分にやりつくしたら、楽しさを追求したっていいでしょ。

日本人だって、横に並ばない価値観を持ってていいでしょ。



こっちは、短水路のレース。

短水路の場合、平泳ぎの技術というよりも、ひとかきひと蹴りの技術だから、

長水路の方がだいぶ高度な技術が必要なんだけど、

気持ちよかったよー


特にターンからの後半。

タッチ板を蹴った時のドーンって音が、じっとしている僕の体をずずず〜っと押し続けるの。25Mも。

たった1回のターンで次の日、ふくらはぎが筋肉痛になったけどね ^_^


ヤマト 波動ターン 成功です。

短水路 50M平泳ぎ 2ストローク (2018.04.22)


2018/05/05


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