泳ぎの世界

 



僕らの土台部分にガッツリと根付いているのが、延岡スイミング。

小、中学生がメインのスイミングだけど、下は幼稚園児から、上は高校生まで。

「選手コース」なんて区分はなく、みんな速くなるために来てる選手たち。


泳げない僕は、小学二年生の時に入ったけど、

「ここは厳し所だから、練習をサボって来なくなるような子はいらない」

と、大人になった今でも、この日の光景を覚えてるくらい、プールの入り口の前で、覚悟を要求される。


厳しいと言っても、練習がハードになるのは中学生からで、小学生の練習なんて週3回だけだし、ぜんぜん大した事ない。

厳しいのは、そこじゃない。


50度まで計れる室温計が振り切れ、水温が35度を超えて真緑色なった水の中でアメンボと一緒に練習するなんてのは、家の前のドブでジャブジャブ遊んでた子供だもん、まったく平気。

厳しいってのは冬。


ここは、真水で泳ぐ、ビニールハウスプール。

温水なんて贅沢な水は、ない。

極寒のプール
ビニールハウスすらない時代


10月から翌年5月までの8ヶ月間、真っ暗で、ターンする壁もよく見えない極寒のプールで練習する恐怖なんて、想像できないでしょ?

年に一度の寒中稽古なら、単なる行事だもん、楽しいよ。

でも、僕らの冬は、ずっと続くの。


自分が大人になるなんて想像できなかった、あの長い長い子供時代に、毎年毎年、必ずやって来る冬。

中学生になると練習量は激増。恐怖の寒さも週7日、休みなく続くもんだから、僕は泳ぎながら泣いてた。


「辛い」なんてそんな生半可な気持ちじゃなくて、「ストーブの前でコタツに入ってる自分の姿」を想像しながら、ただただ寒くて、泳ぎながら泣いてたの。

ゴーグルの中で、こっそりね。


極寒のプールに恐れおののき、大声で泣きながら必死に鉄骨を掴んでる幼稚園児が、大人二人がかりで引き剥がされて、プールに放り込まれてる横で練習してるんだもん、そりぁ中学生にもなって、堂々とは泣けないよ。


でもね、こういう武勇伝的な経験が、僕らの心に根を張っているわけじゃない。

あんなに寒くて、嫌で嫌でたまらない長い冬を過ごしてきても、今、思い出されるのは、真夏の雑草でテンコ盛りになった土手の横で、ガンガン照りつける太陽を浴びながら、汗まみれになって泳いだ夏の光景。

中学1新人戦
背が小さい僕は爪先立ちをさせられてます(中学1年)


僕らのスイミングでは、中学生になるとコーチの事は「先生」と呼ぶようになる。

平日は毎日きっかり、17時03分にやって来るその先生に、僕らは強烈にきつい練習をさせられる。

夏と冬に、キャンプと山登りのレクレーションはあったけど、基本的に正月くらいしか休みはなく、土曜も日曜も、本当に嫌になるほど練習をさせられた。

でも、不思議な事なんだけど、あれほど厳しい環境から卒業できた直後から、僕らは延岡スイミングに特別な愛着を持つようになる。


今、考えてみると、あの「夏の暑さ」は「情熱」なんだよね。

水泳に対する、コーチの情熱。

夏の延岡スイミング
竹刀じゃありません。折れたデッキブラシの柄です。

厳しい練習も、たまにあるレクレーションも合宿も、レースの引率から、レースの申し込みだってすべて、先生がやってた。

選手だった子供たちよりも遥かに多くの時間を、先生は水泳に使ってた。

しかも、延岡スイミングに関わる人たちは誰一人、お金をもらっていない。


僕らが払う安い月謝は、ビニール代とか、おんぼろバスの購入費に使われていて、人件費はゼロの完全非営利、貧乏スイミング。

ビニール張りも自分たちでやるし、パドルやバーベルといった練習道具だって、鐵工所をやってる父兄が作るし、おんぼろバスの保管や整備だって整備工の親がタダでやってる。

ここに関わる大人たちはみんな、水泳とは関係のない別の仕事を持っていて、その収入で生活をしている。


選手だった時には気付かなかったけど、一人の先生の情熱と、それを支える大人たちの愛情に守られて練習がやれてた。

大切なものほど目には見えないから、そこを頭で捉えるのは難しいんだけど、「やらされてる」なんて思っている子供でも、心の方は無意識に感じ取っているから、延岡スイミングは僕らの心の奥深くに根を張ってるの。


でもね、今はもうないの。


2014年、終わりゆく半世紀の歴史に感謝する式典で、定時に帰り続けて築いた17時03分の重みを僕らは初めて知った。

「仕事と水泳、どっちが大切なんだ」

という問いかけは、

「お金が支払われている事と、支払われていない事のどちらに価値があるのか」

という事だけど、本質的には、

「お金と心のどちらに価値があるか」

という哲学的な問題。


「お金」は本来、「ありがとうの気持ち」を目に見える形で表現する手段のひとつでしかないと、僕は思う。

人には、それぞれに生きてきた人生背景があって、その人生価値観がお金にも反映されるし、当然、お金以外の事にも反映されてる。

お金や水泳は単なる「物事の表面」で、それらに関わる人間の方が実体。


「人」がなければ、お金はただの紙切れ、水泳はただの水。

人があって初めて「お金」で、人があって初めて「水泳」でしょ。


ついうっかり忘れちゃうんだけど、お金も水泳も生き物じゃない。

生きているのは人間の方。

物事の背景にいる「人」を見ているのか、見えていないのか、そこが哲学的な答えの境目なんだと僕は思う。


知ってるかな?「タイム」という明確な基準で能力を計られるのが競泳世界の社会システムだけど、特定の限られたチームから多くのトップ選手が育つ現象があるって。

延岡スイミングも田舎にある貧乏スイミングなのに、オリンピック選手を含む、多くのトップ選手が輩出され続けてきた。

これは強いチームに共通する仕組みなんだけど、延岡スイミングでも、子供たちの全員が選手として大切にされる。

延岡スイミングでは、がんばってやってきたかどうかは徹底して問われるんだけど、速い遅いの結果は一度も問われた事がない。


速い遅いの差は「泳ぐ」という「限られた世界」の特定能力でしかないから、強いチームでは、そこだけが秀でていても「だからなんだ」という程度の価値しかない。

人間には当然、「泳ぐ」以外の能力があって、人間としての総合力を強く求められる。


実際、超強豪校の日大豊山高校水泳部でも、この「人間力システム」は同じ。

豊山の選手たちは、

「都高校総合優勝50連覇中の58回。関東高校総合優勝43回。インターハイ2017年総合優勝を含む計8回優勝、3位以内41回」

という、とてつもなく重い伝統を、在籍する3年間、めいいっぱい背負わなきゃならないんだけど、その豊山のキャプテンにマネージャーが選ばれる事がある。

タイムで能力を競う競争社会でありながら、トップを選ぶ基準が「人」になっていて、選手成績で人選が左右される事はない。


「泳ぐ能力以外の価値」が、「泳ぐ事と同等以上の価値」として認められているから、その他大勢の選手たちが自分たちの存在意義や価値を感じ取って強いチームの土台が作られ、その土台の中から一握りのトップ選手が立ち上がってくる。

「タイム」という非人間的な基準に支配される事なく、「人」が主役になって存在しているから、世代を超えて伝統的に強い。

僕は子供の頃にこの基本的な仕組みを実体験できたんだけど、延岡スイミングでそれを体験できる子供たちは、もういない。


なんだろう。この納得のいかない気持ち。

良く言えば一時代が終わったんだろうけど、悪く言えば、お金の表面的な価値に負けたような後味の悪い気持ち。


速かった子、遅かった子、泣き虫の子、勉強のできる子、道を外れかけて引きずり戻された子。

多様な価値を持った子供たちが大人になって、「ありがとう」を言いに戻ってくるステキな背景を持ったスイミングが、「物事の表面」に負けてしまったような納得できない気持ち。


「水泳でお金をもらう」という考えを僕が持つようになったのはこの時から。

「水泳で飯は食えないから、水泳は趣味。お金が絡むと趣味として楽しめないから、水泳でお金はもらわない」

と、ずっと思ってたんだけど、何か違う気がしたんだ。


言葉ではうまく表現できないんだけど、背景さえブレなければお金が絡んでも楽しめるはずだし、「お金」と「楽しむ」を切り離す僕の考え方こそ、お金の表面的価値観に人間の生き方が左右されちゃってるような気がしたんだと思う。

「好きなことで飯が食えて、楽しめる」…… はず。

この人生実験をしたいから、大和部屋は法人化したいし、飯が食えるようにしたい。


まぁ、そんな都合よくやれるとは思ってないんだけど、「これだけは、必ずやる」って決めている事が僕にはあって、三途の川は泳いで渡る。

「舟で渡るべき」って暗黙のルールを破っちゃうんだから、泳ぎの世界は、表も裏も現世で極め続けておかないと、うまくいかないと思うんだよね。


あの世の目標なんて馬鹿げてるんだけど、誰もが通る1回限りのBIGイベントでしょ。

「結果への挑戦があの世で、現世はプロセス」なら、「どう生きるか」って難問に取り組みやすいし、そりぁ僕だって、最後の結果だけは満足したいよね。


2017/08/20


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